外から声がする。
最初は声だけだったが、テントが外からつつかれて変形してからジョーさんに呼ばれていることに気付いた。

現在、朝の五時である。「雲海を見たい」と言っておいたがためにジョーさんが起こしてくれた。
眠い眼をこすりながらテントの外に出る。
ジョーさんはすでに登る気満々だが、こっちは起きたばっかりだ。
急いで準備して出発する。目を開けてからものの1,2分で真っ暗な山道を歩き始めた。

 

雲海が見える場所は昨日夕日を見た場所とは違う。
高橋さんはたしか30分も歩けば・・・と言っていたが、腹に何もつっこんでいない状態だとその時間ですら長く感じる。おまけに滑りやすい土の急坂を上っていかなければならない。はぁはぁ言いながら登る。手をかける石がわりと細くとがっていてゾッとする。

しばらく歩いて一度休憩を申し入れようとした矢先、人の話す声が聞こえてきたd。どうやら目的の場所についたらしい。

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夜景が暗い・・・それでも一応光っているのがチェンダオの街。運が良ければ早朝日の出とともに雲海が立ち込めるらしい。数枚写真を撮るとジョーさんが震えながら鼻水をすすっていた。ここも一応山頂なので気温自体は数度というところだろうが、何しろギブアップ寸前まで体を動かしてきたからダウンジャケットなど必要ない。昨日は全然酒をもらおうとしなかったジョーさんもダウンジャケットを差し出したら素直に着込んでいた。

 

周りを見ると暗いながらもほかの人の動きが少しだけ見える。近くにいた女性三人がしきりにこちらを見るので目を凝らしてみたら昨日お世話になったアカ族の女性たちだった。決して若いとは言わない年齢のはずだが、それでもあの急坂を朝っぱらから登ってきたのか・・・昨日のお礼を言って撮影に戻る。一人は日本のアプリで遊んでいるらしく、しきりに「だ~いすき」というアニメ声がひたすら山頂に響いていた、妙な気分である。

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下の写真はチェンダオの夜景。町の規模にふさわしくメイン通りに灯りが集中し、その周りに少しだけ光の支流が伸びている。そんな小さな光の線の向こうに、大きく美しい光の帯が顔を出し始めた。ここまでくるともう星は映らない。

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そして次第にその光の帯が広がっていき、太陽が顔を出す。その少し前くらいから徐々に霧が立ち込めて来て、町が完全に見えなくなった。ご来光と雲海、なんとも贅沢な景色である。この日は比較的温度が高く、放射冷却が弱いと思っていたので雲海が出くわしたのは本当にラッキーだった。太陽が出る場所にある雲もどことなくいい感じにその光をにじませてくれる。こうやって見ると本当に日の出か夕日かわからんなぁ。

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あちこちから歓声が聞こえる。気づかなかったがけっこうな数の人間が周りにいたらしい。ここはご来光スポットとしてみんなが来る場所のようだ。アカ族の人もさきほどの女性三人だけでなく、ほかにも何人か来ており挨拶した。

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よく動物も感情があるという話を聞く。私もその話にはまったく同感で、「動物も人間と同じように感情を持っていると思いたい」というバイアスを除くことができたとしても、たぶん意見は変わらない。一緒に過ごす時間が長くなれば長くなるほど、そう感じる場面に多々遭遇する。喜怒哀楽はマジであると思う。

 

でも、美しいものに対する感動ってあったりするのかな。一生を自然の中で過ごす彼らも、新緑繁る森や入道雲が浮かぶ青空、色とりどりの紅葉や、雪の積もった山麓を、危険に対する警戒や食料の確保を中断して見入ることがあるんだろうか。

 

「夜と霧」という本がある。

ナチスドイツによる迫害を受けたある精神科医が記した手記をまとめた本だ。この本は悪名高いアウシュビッツの闇を暴くものでもなければヒトラー政権の在り方に異を唱えて立ち向かう英雄の話ではない。

 

ごくごく一般の人々が、各地にある小さな収容所で数々の不幸に見舞われるさまを精神科医という視点から記録したものだ。収容所に来る前には誰もが社会的地位をともなう「何者だった」はずだが、人間的尊厳や生きる希望を奪われ、一様に過酷な運命の渦に飲み込まれていく。

 

これだけ見るとすごく暗い話のようだが、実は全くの逆だと私自身は解釈している。そう考える一つの要因として生存権まで脅かされた人間が何を選択していくかということに目を向けたシーンがある。

 

収容所の中では誰もが栄養失調と凍傷で瀕死に陥いっている。外は吹雪舞う極寒の季節だが、線路を埋設する工事のため、十数キロを超える距離を歩いてから作業を行う。寒さを感じる限度を大きく超えているのでただただ全身が痛い、曲がるところはそこら中切れていて赤い肉が常に見えている。そんな中でもお互いがお互いを支えるために仲間同士を励ましあいながら解放の日(誰もが心の底からそれを信じていない)を夢見ている。

そんな絶望的な日常である日、昨日まで励ましあった仲間が物言わぬ躯(むくろ)になっていた。それを知るや否や少しでも自分のものよりマシな靴、ずぼん、うわぎ、下着にいたるまで全て奪ってから死体を外に捨てにいく。著者の記述だと誰もその死を泣いたり、悔やんだりはしないらしい。いや、そうしたいのはやまやまかもしれないが、少なくともそういった感情を表情や行動に出すだけの余力はないという世界だ。

 

そんな壮絶な日常を送る彼らにとって食料の配給は、明日へ命をつなぐいわばチケットのようなものだ。これを逃せば近い将来命を落とすことになる。しかしながら、入手できるものは食料の配給だけではない。そのころの収容所内では少ないながらもナチスドイツの兵隊から入手した煙草などの嗜好品も存在したらしい。そんな貴重品を得るための対価となったのが配給の食料である。つまり明日へ命を繋ぐ食料と引き換えでなければ嗜好品は手に入らない。二者択一である。もし、仲間の誰かが煙草を吸っているのを見たら、皆がその者の死を間近に感じていた。

 

そういった環境下で何人もの被収容者が配給を無視してしまう現象が起こる。配給を受けなくてもその日の作業はもちろんなくならない。たとえその日中生きられたとしても、余裕の一切ない体に鞭打つことはもはや自殺と同義だろう。前述のように嗜好品に化かす者は配給を無視したりはしない。しかし、この者たちは配給をそもそも受け取らない。では、命を犠牲にしてまで何をするか。

 

彼らは朝日を見に出かけるのである。

 

雪原の果てから生まれてくる太陽を見る。生きて家族と遭う望みも捨て、かといって無気力に死を待つわけではない。自分が今まで見てきた景色を重ね、思い出し、涙するのかもしれないが、それは別に漠々と広がる雪原を作業中に見ながらでもできることだ。そこであえて朝日を見に行くという行動に美しさや芸術に対する欲求を強く感じる。人はすべて奪われても「美しいもの」に対する欲求がなくならない。

 

これってめちゃくちゃ面白い事実じゃないですか。他の動物がどうかは知りませんが、たぶん人間だけじゃないかな、と勝手に思っています。死にざまにも美学を見出すことって実際でも創作でも多々見受けられますもんね。本当に全部なくなったあとにそういう行動とるってことはもう本能に近いんじゃなじゃないの?美しいものを見て快を感じる報酬系が強化されてるって見方もあるかもしれませんが、命を繋ぐ行動を中断してまで実行する状態って・・・ここまでくると本能に近似してるレベルでその行動を選ばせてるってことになりませんか。

 

あ、言いたいことは美しいって感じられる能力が少なくとも人間には備わっていて、それってすばらしいなってことです。概念が命の価値を超えるってことですからね。はい、引用が最高に長くなりましたが、つまりそういうことです。

 

その美に対する欲求で、言葉も通じない海の向こうのおばあちゃんがひぃこら言いながら山に登るんですからね。いくらはえぬきの山岳民族といえど、さすがに私よりは体力ないでしょう・・・もうね、抗えないよね、美に。あんまりこういうとあだ名がIKKOとかになりそうなんでこの辺にしますが。

 

これは朝日を受ける隣の山。日を受ける輪郭にヤシの木があって南国だと再認識する。後ろに広がる空のグラデーションが美しい。

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昨日の夕方に太陽を見送った三兄弟。昨日見た場所からは等間隔に見えたけどここから見るとずいぶん離れて見える、山は見る角度によって印象がガラリと変わる。

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見るもの見たし、撤退!

ここからテントサイトに戻って朝食。ジョーさんがポーター仲間との朝食に誘ってくれた。インスタントラーメンを作り、私に分けてくれる。私が貢献できるのは水とカオラムくらいなんですが、カオラムのほうは速攻で断られました。寒い山の上であったかいもの食えるって最高水準の幸せだよなー。

 

飯の間中、底を乾かすために横にしていたテントがまだ乾かない。やることもないのでテント周りのゴミ拾いをしていると最初は見ているだけだったジョーさんが手伝ってくれた。ポーターの人たちは大きなゴミを捨てたりはしないが、たとえばカップラーメンのかやくが入った小さなビニールの切れ端をそのまま投げ捨てたりする。そういうのがそこら中に散らばっている。別に聖人ではないので自分のテント周りだけ終えてキャンプサイトを発つ。自分たちのホームベースなのであとは自分らでやってください。

 

下りは体力的に簡単でも、足首をひねりやすかったりする。加えてここでも赤土が滑ること滑ること、慎重に行かないと。写真撮影の時間でこまめに休憩しながら、順調に下っていく。

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帰りは違う登山道へ下りる。途中バナナの木が大量に生えた場所があった。登りとは少しだけ違う景色を見ながらガンガン下山していく。

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下山ルートは登りルートよりはるかに短い。道は少しだけ急だが、そもそもこっちのルートは山を回りこんだりはしないので距離がその分短くなる。休憩も写真撮影以外は入れなかったので一時間半ほどで下り終えた。ただ、夕方と朝方の景色がすばらしかったので泊まらなくてもよかったなんてことは思わない。

 

下山の途中でジョーさんが連絡してくれたこともあり、登山口についたらすでにトラックが待機していた。帰りは道がまっとうだと聞いていたので荷台で揺られながら事務局へ移動。遠ざかる山を指さしてジョーさんが笑いながら話しかけてくる。「あそこが登ったところだぞー」みたいな感じかな、本当にありがとう。お世話になりました。

 

事務局でペットボトルの数を確認し、デポジットを返してもらう。ポーターと運転手にもお金を払って、高橋さんを待つ。コーラを買ってベンチに腰掛けると思っていたのと感じが違う。木の模様を描いたコンクリートの長椅子だった。そういうところもタイっぽくて安心する。

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このあと到着した高橋さんの車に乗って温泉・ご飯に連れて行ってもらった。

温泉でした山の話はおもしろかったな~。

 

ちなみに次の日はカメラ・靴・リュックサック・そのほかもろもろを綺麗にするため、写真も撮らずひたすら洗濯したりダラダラしたりしてました。

 

いよいよ明後日からマレーシアに向けて出発します。

それでは!

 

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