みなさん、こんにちは。久しぶりにマンガ喫茶に泊まった宮下です。

 

タイでお世話になった高橋さんが日本からまたタイへ戻るということで、羽田空港で送迎会をした帰りです。いやー、楽しかった!

 

読者のみなさんには日記を読んでもらって非常に嬉しいんですが、

その中で顔を合わせて会う人にはもっぱら日記の評判が

「長すぎて読むのが嫌になる」

というわかっていたもののショッキングな感想をもらいます。

いや、言い方はそんな辛辣じゃなくて「書くほうだって大変でしょ」って気を遣ってくれるんですが・・・

 

自分の所感を残すという意味で始めたブログですが、読んでもらえるととても嬉しいので完全に旅のモチベーションになります。だから読んでもらう人にも楽しんでもらえたらと思うんですが、たしかに読み返すと結構時間食ってたりするんですよね・・・

 

ちょっとやり方を考えるのでもうしばらく今のやり方に付き合ってもらえたらうれしいです。

よろしくお願いします^^

 

日記の続き———————

事故の翌日、預けたバイクを取りに行かなくてはならない。

昨日はSuaidがバイク屋からホテルまで町を右往左往して連れてきてくれた。

 

本当はタクシーを捕まえればすぐに戻れるんだけど手持ちのお金が本当に心もとない。

旅の資金がピンチというわけではなく、マレーシアでは私の持っていた国際キャッシュカードが空港に設置された一部ATMでしか使用できなかった経験から、むやみやたらに手持ちの現金を使うのは避ける必要があった。

 

というわけで、まったく見知らぬ町をカンで歩いて移動。

昨日、私の事情を察してくれ、良くしてくれた薬局にお礼を言いに行ったが、お客さんでごった返していたため断念(これは並んででもお礼を言っておけばよかった、言わなかったことが後悔になってしまった)。

 

しばらく歩くとSquaidが乗せて走ってくれた大通りに運よく出ることができた、この通りに沿って歩けばバイク屋まで辿りつけるだろう。

 

 

とはいえ、歩くたびに昨日負ったケガがズキズキと痛む。

 

傷口からは体液が絶えず滲んできて服に染み込む。その中には血小板ももちろん含まれているので服と一緒に皮膚にくっつき、歩くたびにくっついた服が小さくびりびりと剥がれて新鮮な痛みを追加してくる。

 

傷が痛むたびに「いやいや、金のほうが実際問題ヤバいだろ」とも考える。それもまた次の痛みで霧散して、その痛みを忘れるように増やすことができない財布の中身をまた心配する。

 

たぶんこの時は相当ひどい顔をしていたと思う。

 

この旅で強く感じることだが旅で本当に大切なのは語学力ではなくて「笑顔」だと切に思う。

相手から見てひとりで旅する旅行者は圧倒的に不審者ではないだろうか。サービスだって金を支払うやり取りがあるから成立するだけで、何か温情に預かりたいなら無愛想はもちろん、あやしいのはご法度だ。

 

道を聞いた通行人の何人かに冷たい対応をされるまでそれを完全に忘れていた。

そう、明らかにヤバい奴だ。乾燥させるため負った傷をほぼ露出させ、体温とほぼ同じ気温の中を物心ついた子供ほどの大きさの荷物を二つも持って、汗ダラダラで陰湿な顔をしながら歩いている。私が相手の立場だったら正直絶対に関わりたくない。

 

ピンチの時にはピンチな風にしてはいけない。まぁ、旅じゃなくて色々なところで感じるんだけどね。唇を両手の人差し指で広げて口角を物理的に上げる、次のお店は笑顔で道を聞こう。

 

そうして尋ねた小さな商店で、店番をしていた母親と娘は笑顔で対応してくれた。

顔の筋肉数個でこんなにも対応が違う。

一緒に話し込んでいたお客さんも巻き込んで話は弾み、バイク屋のおそらく正確な位置が判明した。

 

「ここから歩いて1時間かからないくらいだよ!」

 

ガーーーーン!

 

昨日は必死になっていたため、バイク屋からホテル探しはあっという間に時間が過ぎていたが、思ったよりも移動していたらしい。押していうがタクシーに乗る金はない。

 

いや、歩くしかねえか。冷静に考えれば表面がちょっとやられただけで歩くのに問題ないしな・・・

店の人たちはバスも勧めてくれたが、体温ほどもある気温の中、日向でいつ来るかわからないバスを待つのもきつい。それだったら歩いたほうが気が楽だ。

 

そんな話をしているときに、新しい人物が会話に入ってきた。

Kohrという男性である。

 

事情を話すと、そのバイク屋は知り合いらしく、車で送って行ってくれるということになった。

え?神様とかですか?IMGP7747

 

中華系マレーシア人でオンラインショップを経営しているそう、奥さんとお子さん、そして自身のお母さんのの四人で暮らしているという。感謝の言葉もそこそこに世間話に花を咲かせているとバイク屋についた。感謝です!

 

結論からいうとバイクは一応直った。二面を合わせてエンジンをカバーしているケースの片方にひびが入り(もちろん金属製)、そこにコーキング剤をつっこんでエンジンオイルの出血を止めてくれたらしい。完全には直っていないと注意は受けたが、それでも乗れるようになったのは本当に嬉しい。多くの人の助力で活路が開けた、といえば一言だけど助けてくれたひとりひとりのことは絶対に忘れない。ちなみに修理代金はびっくりするほど安く、タイに戻るまでもう一、二泊しても余裕ができるくらいのお金が手元に残った。

 

そのあとはKohrに連れられて飯屋に行った。彼は「宗教はなんだ?」と聞いてきて少しびっくりしたが、仏教だと答えると「自分もそうだ」と言っていた。イスラム教徒だと食べれないレストランもあるので気を遣ってくれたのだろう。ちなみに彼いわく本当の仏教とはベジタリアンなんだ、といって野菜オンリーのお店だった。ここでも彼の好意で私の財布は一切痩せることがなかった。

 

レストランで食事をすると「タイに戻る高速道路へのインターへ案内するよ、その前に家に忘れ物があるから取りに行こう。母親もいるし中国の新節(旧正月)だからお年玉をくれるかもしれない」

 

ヤバい、なんだこの優しさは。めちゃくちゃ優しい。そしてそれにホイホイついていく自分にも危機感を改めて感じた。

 

彼の自宅に着くとお母さんが笑顔で迎えてくれたものの、その顔を見るまでにかなり頑丈なゲートを二回開けた。そうだ、ここは海外だ。親切なのはありがたいが、気を緩めすぎないようにしなければ。この心配はここにおいては全くの杞憂で、めちゃくちゃおいしい緑茶や謎のお菓子をたくさん頂いた。しかも本当にお年玉をもらった、なんということか。

 

彼が自宅に忘れていたのはパスポートですでに三冊目だという、オンラインショップの経営はすべてパソコンで処理ができるのでちょくちょくインドネシアのゲストハウスで作業するらしい。オフィスを自由にできる気楽さやこれからの展望ありきで、旅を終えたらパソコンの勉強をするように言われた。

 

一通りくつろいでから、彼の自宅を後にする。お母さんは視界から消えるまで手を振ってくれていた、息子の友人として迎えてくれたんだろうな、きっと。国を超えても母親らしさみたいなのは変わらないんじゃないかと感じた。そして高速のインター手前で彼の車の横につけ、感謝と別れの挨拶をする。

 

Take care(気を付けてね)というと、それはお前だよ!と返された。You are rightとしか返しようがない。

 

そこからは慎重に慎重を重ねてタイを目指す。三十分進むごとにエンジンを切り、オイル漏れがないか確認した。エンジンが発熱して膨張すれば、亀裂が拡大して再びオイルが漏れるかもしれない。そういった懸念もあって速度も出さなかったので時間はかかったものの、無事にマレーシア-タイの国境を通過。タイ南部の都市ハージャイの街まで無事に戻ることができた。

 

さて、タイに戻ってきた。東南アジア巡りは当初の予定だとシンガポールを除き、カンボジアとラオスに行くつもりだった。しかしながら、事故によるトラブル、思いのほか楽しくてめちゃくちゃ後ろにズレたタイツーリング。この後、何をするにもすでに走った道については時間も距離も短く済ませたいところではある。

 

そこで電車移動ですよ!!

 

これは偉大なる先人、ぽこけんさん夫妻こと荒木さんご夫妻が実績を持つ「バイクごと電車でバンコクまで戻る」という超便利手段を利用させていただくほかない。バンコクからハージャイまで自走で2週間近くかけてしまったが、これを使えばわずか1日で済んでしまうという・・・

 

ここは電車が出ているハージャイの駅。国王陛下夫妻の写真が大きく掲げられているのを見るとタイに戻ってきたんだと実感する。

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実はタイに戻ってからこの駅に来るまでに二日ほど高熱にうなされ、マラリアかどうか大きな病院に検査に行った。東南アジアでは簡易検査キットが薬局で売っているという情報をネットで見たのだが、薬剤師さん曰く、タイでは全国的に病院での血液検査しかしていないという。結果はFar from marariaと言われたが、今考えると事故で負ったケガによる外傷性の発熱だったかもしれない。主だった感染症のワクチンは打っていたものの、今思えば博打に近い判断だった。これは反省しなければならない。連泊した宿のお姉さんにマラリアの検査キットを買いたいから薬局を教えてくれと言ったら英語が一切通じず、事故のケガのことだと思ったのか包帯とかを買ってきてくれた。本当にありがとう、お金も全然受け取ってくれなかった。

 

おっと、電車の話でした。心はすでに電車を利用することに決めていた。寝てる間に進むってのはデカいよね、信号もないし。さっそくハージャイの駅に行ってバイクを持ち込み、チケットを購入。案外人気らしくて一番安い座席しか売ってもらえなかった。昼過ぎに出るので駅の構内で時間を過ごす。

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駅構内。タイの南側の都市なのでイスラム教徒の人がいっぱい。(タイの南に位置するマレーシアの国教はイスラム教)

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以前、荒木夫妻が利用した時に、自分たちとバイクは違う電車だったという。バンコクについてから三時間ほど待たされ、次の電車でバイクが到着したらしいことをブログを拝見して知っていた。後発の貨物でしかバイクを運ばないなら仕方ないが、すでに一か月以上を東南アジアで過ごしてきた私は確信していましたね。

 

「貨物のみ、乗客のみなんて面倒なことは絶対しない。テキトーに荷物乗せたせいで次ので届いただけだろう」と。

 

バイクを所定の位置に停めると、近くで作業員を待つ。ラベルを貼りに来た青年を捕まえてチケットを見せ「これと同じ電車にこのバイクを頼む!」とプッシュ、もちろん笑顔で。青年も笑顔で「オーケー!オーケー!」と答えてくれる。よしよし、頼んだぞ!

 

そうして重要なミッションを終え、ゆうゆうと電車に乗り込む。指定席制だが、そこらじゅうが空いているので相席になった人はすぐにほかのところへ行ってしまった。ここからほぼ一日、電車に揺られてバンコクを目指す。

 

駅を出る直前。照り返す隣の電車の鮮やかな壁面に自身が乗る電車が映る。

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もちろんエアコンはない。ジョイスティックのように扇風機がぐるぐるとまわっている。

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窓際から見た工事現場。ここだけ見せられて「日本だよ」と言われれば、とても怪しく感じると思う。違いはなんなんだろう。

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夕日に向かって走る電車。真っ暗になってしまえばやることもなく眠るだけである。運んでもらう間は色々な思いを馳せることができる、長旅にはこういう時間が必要かもしれない。

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日も落ちると外を見る楽しみは一切ない。町の明かりなんて本当にまばらだし、森林地帯を抜けているのか本当に真っ暗である。たまに止まる駅では売り子が窓の外から食べ物を勧めてくるが、鳥肉とコーラくらいしか買いたいものはなかった。

 

そそくさと眠りにつこうとする。この日は駅まで行って電車に乗り込んだだけなのだが、それでも疲れた。思う以上に多くの情報を扱っているんだろう。幸い、謎の発熱は収まったのであとは夢の世界に旅立つだけなのだが・・・

 

寒い。めちゃくちゃ寒い。

 

いくらタイが南国だって夜は少しばかり気温が下がる。それに私はこっちの気温に慣れてしまった、日本は2月という厳冬期でも体温に近い気温の毎日だったマレーシアから戻ってきた私には眠気が吹っ飛ぶほど十分寒かった。

 

窓を閉めも、隙間からぴゅーぴゅーと風が入ってくる。それにほかの乗客が窓を閉めない。なんで!?と思うが、みんな開けたまま、ブランケットをかぶって丸くなっている。なぜ頑なに閉めないのか・・・

 

そして次の日。

 

結局全然眠れなかった。新しい風邪をひくかと思ったが、この夜のダメージを差し引いても若干体力が残ったらしい。日が昇って明るくなると汚い建物が目立つようになってきた。都市部が近くなっているのを実感する。

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ここから徐々に暖かくなって仮眠。少しでも寝れてよかった。

 

そんで、つきました。バンコク駅。19世紀のイギリスで見そうな感じの建物でした、なんとなくだけど。

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電車から降りて積み荷を待つ。次々に下される荷物の中にバイクがあった。やったぜ!

ただ問題があった。

下されたバイクは私のじゃない。なんでなんだぜ!

 

え?マジでなんなの?

 

聞いて回ったら次の電車で来るらしい。つまり三時間後・・・

 

あんなに言ったのに!

とかイライラしてはいけない。イライラしたら負けだ、良くも悪くもここは東南アジアだ。

 

ここまで来ると地べたに座るとかには全く抵抗ないよね、空気を吸うのと同じくらい自然に座り込みます。さすがに横になったりはしませんが、胡坐をかいて体育館みたいな天井をぼーっと眺めて時間を過ごす。たまに来る電車に一縷の望みをかけて調べるも、ハージャイ発でないとやっぱり可能性はないとのこと。そりゃそうか・・・ハージャイと同じ線路でつながってんだもんな、ほかの電車にのせかえる理由がない・・・荷受けのおじさんに何回も聞いたら後半は答えずに首を横に振るだけになってしまった。

 

きれいな電車ももちろん多いが、そうでない電車も止まる。日本でいうと東京駅だからね、いろんなところから来るんだろうが・・・昔庭で失くしたブリキのおもちゃを半年ぶりに見つけたような色合いである(←失礼)。

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きっちり三時間待った。待ちに待ってようやくバイクが来た。

荷受けのおじさんはこの三時間の間に何回も私にプッシュされているので到着を一緒に喜んでくれた。

 

「よかったな!ちゃんと来たぞ!」

 

謝罪はない。たぶん純粋に申し訳ないと思っていない。もちろんそこに悪意はない。

万事が万事、こういった感じで進められているのだ。そういう空気感がこちらの常識なんだと感じる。

その一種のゆるさが東南アジアの良さでもあり悪さでもある。それよりも注目すべきはこの言葉である。

 

「ちゃんと来たぞ」

 

え?来ない可能性あったの?

私は恐怖しましたね、この言葉に。

まぁ、私もずいぶん疑っているようなそぶりだったのかも、それに対して「どうだ?言った通り来ただろう」といったところかもしれないんですけどね。

 

結局バイクに乗って走り出したのは三時すぎだったと思う。ここまではひたすら北上してきたが、ここからは東に進路をとってカンボジアを目指すことにした。シェムリアップのアンコールワット見たさである。

 

走り出してしばらくしないうちに昨日電車から見た色に空が変わっていく。

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バスケットのゴールに入るがごとくちょうどいい木と夕日が重なる場所で休憩。旅はいつも忙しいが、とにかくキナバル山から色々なことがありすぎ。どこかで休みを設けないとなぁ。

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この日は道すがらテキトーな宿に泊まった。

 

あくる日、またもやカンボジアを目指す。

すでにもう都市部からは遠く、農地なのか手つかずなのか判断しかねる様相の景色が続く。

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こういうトラックがたくさん走っている。こいつの後ろは植物の破片がぱらぱらと舞ってとにかく走りにくい。すぐに抜いてしまいたいがデカすぎて前が見えないので抜くのはそれなりに度胸がいる。

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抜くときは決まって対向車線側、真ん中寄りだ。左側通行なら追い越しは当然右からなのだが、日本のようにキッカリ中央線が書いてあるわけではないし、車が左右均等の間隔を空けて走っているわけではない。左側が空いている、という安易な理由で左から追い越しをするのは、この画像のような場所がそこかしこに点在することを論拠としておススメしない。

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そして見えてきたボーダー。最初のタイ-マレーシアのボーダーまで行くのは大分時間がかかったが、カンボジアまではわりとあっさりである。とはいえ、夕方も近い時間だったので今日はここまでにして明日の突破を目指す。久しぶりに食ったマックの体に悪い味が最高にうまかった。

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次回はカンボジア入国とシェムリアップ到着くらいまで書けそうかな?

読んでくれてありがとう^^

 

それでは!

 

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2 Comments AsiaSoutheast Asia

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2 Responses to “たくさんの好意でバイク復活!バンコクを経由してカンボジアを目指す”

  1. 市村さん、ありがとうございます!その後、お元気に過ごされてますでしょうか!?次の旅から帰ったらお酒交えつつゆっくり話を聞かせてください^^

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