茹だるような暑さの夏をお過ごしのみなさん、こんにちは。
夜は寒くて何度も目が覚めるヨーロッパで野営しまくりの宮下です。

今ドイツのミュンヘンにいます。
旅は東南アジアからヨーロッパに移ってたんです。

・・・
はい、ごめんなさい。
ブログ放置して本当にごめんなさい。

東南アジアから戻って4,5,6,7月と実に4ヵ月もあったんですが、何やらいろいろなことに夢中になっているスキに次の旅が始まってしまうという・・・

無職なのに何してんの?って思うかもしれませんが、
色々あるのです、無職は無職なりに忙しいのです。

あと完全に言い訳ですが、今やっているヨーロッパの次に南北アメリカにも行きたいと思っていてそれのいろいろな手続きや準備が大変だったってこともあるんです。ブログを見てくれている友人たちは私のFacebookで旅の出発を知っている方も多いのですが、そういう情報がないままずっとブログを見てくださった人たちには本当に申し訳ない、そして本当に感謝してます。

 

とりあえず東南アジアのブログを終わらせてしまいます↓

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タイでは一か月に及ぶ長い期間、滞在していた。
それに対してカンボジア滞在の期間は非常に少ない、たった数日である。
それでもここに至るまでのタイやマレーシア滞在で過ごして感じた現地の雰囲気が助けになっていくぶんかスムーズにこの国のイメージの一端を知ることができた。

カンボジアを訪れた人々のブログを見ると「この国はまだ子供」という表現をたびたび見る。
ポルポト政権による暗い過去から脱却し、今は未開発の地域ばかりであるとも、エネルギーに溢れる人たちがいる限り、今後この国は大きく伸びるだろう、と。

 

たしかにそうかもしれない。そしてそうなったら私が出会った景色はきっと様変わりするだろう。

土埃が舞う穴だらけの道も瓶で売っているガソリンも重ね塗りした看板も、すべてなくなってしまうと思う。早く旅をしないと今あるものはいずれなくなってしまうな。

 

カンボジア最終日、有名なアンコールワット遺跡の日の出を見に行く。敷地内にある聖池と呼ばれる場所にアンコールワットと朝日が映り込むという有名スポットらしい。日の出の30分ほどまえに到着したが、100人を優に超える人々がそこに佇んでいた。そこかしこから色々な言語が聞こえる。いよいよ日の出がはじまると一同が歓声をあげた、さきほどまで全部違う言葉に聞こえていたのにその時だけは言葉の壁がなくなったようだった。

 

やはり人が集まるだけあってアンコールワットの日の出はすばらしいものだ。そびえる巨大な建造物に逆光が差し、異国情緒というより古代の文明を感じさせるフォルムがジャングルの中に浮かび上がる。それが聖池に反射して視界いっぱいの絶景が広がる。

 

まぁ、ここまで話を広げておいてアレですが写真は日本に忘れてしまいました・・・すいません。

 

宿に戻って身支度を済ませ、タイへ発つ。トゥクトゥクドライバーとしてお世話になったボンは「また来たら俺を呼んでくれ、もしお前の友達がカンボジアに遊びに来たら俺を紹介してくれ」と言って名前と携帯電話の番号を教えてくれた。そのあと、私のサンダルを指さしてはかせろという。はかせたら「すごくいいから俺にちょうだいよ!これすげーいいよ!」と言ってきた。すごいバイタリティというかしたたかさだ。

 

カンボジアのシェムリアップからタイまでの国境である70km弱の道は数日前と同じく、砂誇りにまみれたものだった。道がアスファルトではないので制動距離が長く、車間距離をなるべくあけて走るが、それでも前の車が舞いあげた土埃は避けられない。休憩で止まるたびにタオルを濡らして顔を拭く、元は真っ白だったタオルも今では赤茶色の土がしみ込んだピンクのような色をしている。

タイ-カンボジアの国境。タイを出国し、カンボジアに抜けるときはあんなに手間取ったのに、タイに戻るのはとても簡単だった。タイからバイクを輸出していないかどうかのチェックが厳しいのであって、ちゃんと戻ってくれば、また別に好きなところへ行けば?ってスタンスなんだろうな。

 

国境を超えた瞬間、道がガラリと変わる。日本から来たばかりのときには絶対に感じなかったことだが、今は「タイは物に溢れている」と感じる。これは完全に相対的な話で、カンボジアに物がなさすぎるだけなのだが。やはり国境というものは大きいんだ。

 

タイを北上する。最終目的地はバイク購入から現地滞在、越境、果ては登山までお世話になった高橋さんのお宅があるチェンダオだ。道を走りながらここ数か月の色々な思いが胸に去来する。

 

秋の日本を縦断したときには、自然そのものの美しさに感動した。
最終地点の九州・阿蘇外輪に到達するまでに出会った風景は一生の宝物だし、同じ時期にほかの場所もいつか行ってみたい。

 

そしてもちろん、東南アジアでも、多くの景色を見ることができた。熱帯・亜熱帯の植生とそこに暮らす人たちが織りなす景色は圧巻だった。美しいと表現するよりは、「エネルギーに溢れた、けれどもどこかのんびりとした」という言葉が近いかもしれない。
そして、この東南アジアの旅では日本の旅で感じないことを強く感じた。

 

旅人という立場が本当に特殊だということ。

もうすでにいい大人なのに、旅をする多くの者がその地域のことを十分にを知らない。(だから訪れるわけだが。)そのために外から来た人として許される場面と、外から来た人として許されない場面を両方とも味わう

その両極端なところで人間らしさというか、普段の生活で触れない人間の暖かさや無関心さに触れることができる。言葉が通じない、遠い地域のほうがよりいっそう強く感じる。

都会と田舎を比較すれば人の純朴さに多少の違いはあると思う。都会の人はいい意味でも悪い意味でも無関心な人が多いし、田舎の人はその逆が多い。けれども、大した違いではない。
都会でもやさしく親切な人はいるし、田舎で困っても遠目に見るだけで話しかけると逃げていく人もいる。

 

そういう出会いを繰り返すことで感じるのは

やさしさや無関心さの源泉は国籍や性別、年代ではなく個人の資質だということ。

 

そしてこそ誤解すべきではないのは、自分にやさしくしてくれた人があくまで特別であって、そうでない人は別に普通の人だということだ。悪意などもちろんなく、暮らしの中でわけがわからないやつがいたら関わらないでおこうというのはごく自然な価値観だと思う。そしてだからこそ、より一層、そこを越えてやさしくしてくれた多くの人たちに感謝したい。

 

3日ほどかけて高橋さんのお宅に到着。この旅で感じたことをアルコールを交えて話す。高橋さんは快く話を聞いてくれた。バイクで転んでエンジンが割れたことを話すと、「近くのバイク屋さんで直してから売ったほうが経済的かもしれない」と口を効いてくれた。バイクを修理し、購入したバイク屋で売る。修理したとはいえ、私の予想を大きく上回る値段で買ってもらえた。すべて高橋さんのおかげだ。

 

日本に帰る日、バス停まで高橋さんが送ってくれ、バスが車で話し相手になってくれた。人のやさしさはその人個人の資質だ。高橋さんにはこの旅で本当によくしていただきました、本当に感謝しています。

 

 

チェンダオからチェンマイまでバス、チェンマイからバンコク経由で日本に戻る。

終わってしまえばあっという間なんだけど、思い出すと莫大な情報量があって変な感じになる。

それだけ実り多いものだったんだなぁ。

 

久しぶりに到着した日本は3月中旬、安心もあってか帰って数日で風邪を引きました。

 

2016年1月から3月中旬まで、数ある東南アジアの国々の中でも今回は三カ国をじっくり周った。そこで感じた些末なことをこのブログを写真とともに書いてきました。もし、私のブログを読んで東南アジアのすばらしさの一端が皆さんに伝われば幸いです。

 

本当にお勧めです!!

 

そして最後に、ブログを読んでくださった皆さんのおかげでここまで来ることができました。

お付き合いくださったことに感謝します。

 

本当に、本当にありがとう。

 

それでは!

 

 

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