みなさん、こんにちは。「まんまと」って言葉を作文ではじめて使う宮下です。
この日記を読んでくれている方は「まんまと」って言葉を使ったことがありますか?
いきなりですけど「まんまと」って使わないですよね。だって、「まんまと」の後に続く単語って「騙された」とか「嵌められた」とか何がかしらの被害を受けたネガティブな言葉ばっかりですからね。
被害をこうむるだけでも腹立たしいのにそれに加えて相手が”うまくやった”っていう若干賞賛気味のフレーズでもあるわけです、稀にでもこの言葉を使うのはご免こうむりたいですよね。
そんな言葉をようやく到着したカンボジアの国境で噛みしめることになるのですが・・・
ようやく旅の終わりがちょっとずつ見えてきた、やったー!!
ここに来て私は悟りましたね
海外長期旅行で一番大変なのは日記書くことやったんや・・・
あ、じゃあ、書きます。今回の日記は短いのでまぁまぁ読んでってください。
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カンボジアに入国するにはビザが必要だ。知らない人がいるかもしれないので一応書くとパスポートとビザには簡単に言うと下記の違いがある。
パスポート:身分証明書
ビザ:入国許可証
自国と入国したい国の間で条約が締結されていればビザが不要ということもあるが、両国の関係がそこまでいっていないとこのビザが必要になる。だから同じ国に入るのでも日本人はビザなし、ほかの国の人はビザが必要とかある。
まぁビザ必要くらいならいいんですよ。そもそも入国禁止の国もあるし、入国したい国と仲の悪い国に渡航歴があると入国できないとかありますからね(韓国と北朝鮮とか)。
ビザくらいなら安いもんじゃーい!とタイ-カンボジア国境近くのカンボジアビザセンターみたいなところに朝一で向かう。対応してくれたカンボジア人は中国人ばっかり見てたからジャパニーズは歓迎だよ、とリップサービスを使ってくる。この国境付近で取るビザ、実は安くない。滞在できる日数でビザの価格も変わるのだが、東南アジアの物価から考えると笑うに笑えない額である。
明らかに外国人観光客から金をせしめようという魂胆見え見えなのだが、カンボジアはポル・ポト政権とかいうヤバ過ぎる歴史があるのでそこは何も言うまい。
ポル・ポト政権についての大まかな流れはインターネットで流し読みしただけなので私がこれから書くものは正確ではないかもしれない。そもそも俺はポル・ポト通だから、という人も読み飛ばしてもらって構わない。説明の開始と終わりを====で示した。
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1975-1978年、この3年間で100万~300万の人間がカンボジアで粛清された。カンボジア人に、である。なんでこんなことが起こったのか、それについてネットで見聞きした正確かどうかわからない私の見解をザックリと書く。
1965 ベトナム戦争。アメリカがベトナムのゲリラ戦術に苦戦(森林地帯に蟻の巣のように複雑に張り巡らされたトンネル内に潜み地上のアメリカ兵を奇襲。穴は体格の大きいアメリカ人では入れないように小さく掘られたり、竹やりの落とし穴になっていたり。アメリカ軍は軍事力こそ圧倒していたものの、この戦術に戦闘の長期化を余儀なくされた)
アメリカ「ベトナム粘るな~、なんか武器いっぱい持ってるし。カンボジアさん、なんか知らん?」
カンボジア「知らないっす!武器とか食料とか全然送ってないっす!」
ベトナム「(カンボジア・・・イケメン///)」
当時、カンボジアは中立を明言していたが、実際はベトナムを支援していた。これはカンボジアから見たベトナムはそれなりの大国であり、隣接していることから敵対したくないという政府の判断だったらしい。
アメリカ「(これはどう考えてもカンボジアや、あいつらを変えなアカン)」
こうしてアメリカはクーデターを画策します。国王であるシアヌーク殿下がモスクワ訪問中、アメリカ寄りのロン・ルノ首相をたきつけてクーデターを実行。首都プノンペンをゲットしました。
アメリカ「やったでー!これでベトナムもボコボコや!」
しかしながら、シアヌーク殿下は国民からの支持が厚く、中国政府からの支援もあって、北京住まいしつつカンボジア奪取作戦を計画するのです。とはいっても遠方住まい、現地で実際に動く集団が必要でした。
そこで白羽の矢が立ってしまったのが共産党とそれを率いるポル・ポトです。
カンプチア民族統一戦線を名乗り、農民を中心に支持を伸ばしていく共産党。
そして1975年、ついに共産党がプノンペンを制圧しました。
普通制圧したら平和になるんですよ。戦う相手いなくなるんですから。
でも、ここでは違った。
ポル・ポトはこの解放戦線において農民こそ戦った誉高き者、真の国民(旧住民)。都市部のやつらは農村部から逃げてった奴、卑しい非国民(新住民)。こうして両者を二分して扱うことにしました。まぁ、解放戦線の支持母体は農村部だからそういう考えに至ったのかもしれませんが・・・都市部に住んでいた新住民の人たちはこの日から徹底的な弾圧を受けることになります。
ここからはポル・ポトのクレイジーラッシュです。
貨幣廃止!
学校廃止!
病院廃止!
ひとつめで社会が崩壊しそうですが、これに加えて有名なのが「知識人敵視政策」です。
これはもちろん本人に聞いたわけじゃないので定かではありませんが、妥当と思われる理由は「政権にケチつけてきそうな知識人になる前に抹殺してしまおう」ということらしいです。
字が書ける、これは粛清の対象です。
そんなの中学校でも出てれば大人と同じくらい読めるだろって思いませんか?
だから「中学校卒業してたら抹殺」
字は書けなくても、読むくらいだったらできる。
これも粛清の対象。本とか読まれて知識つけられると困るから。
メガネ、粛清の対象。
君、頭良さそうじゃない?粛清。
本当にこういうケチつけるくらいの理由で次々と抹殺が繰り返され続けるわけです。
この悪夢が終わったのがベトナム軍が侵略した1978年。ヤバ過ぎる内容に当時はベトナム軍がデマを流しているってことまで言われてたそうです。
ちなみに日本のこの時期は高度経済成長期から5年ほど。ディスコブームでOLたちはアフターといったら踊り狂ってた時期です。飛行機で5時間移動した場所では、こんなことが起きてたとは・・・
このポル・ポト政権の政策によりカンボジアの発展は数十年衰退したといわれています。
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国境をバイクで通過するのはこれで二回目。一回目にはずいぶん緊張したが、二回目ともなるとわりとリラックスしていた。人々がにぎわう市場を尻目にバイクを押して国境に入る。笑顔でパスポートを渡す。
「カスタムへ行け」
ピクリとも笑わない男性がぶっきらぼうに答える。ヤバい、カスタムとか悪い噂しか聞いたことがない。ここでカンボジアから旅人のサポートに来ているという男性がカスタムに同行してくれた。何がかしらの説得の試みているようだが、全くわからないので書類だけ渡して、それが紛失しないかを見ているしかなかった。おばさんの説明はタイ語だったが、「出ていくときにこの書類をここに返せ」みたいなことは伝わってきた。お礼を言ってイミグレを目指す、簡単に書いているが実際は2、30分は待たされた。その間カンボジアからサポートに来た男性と世間話をする。この男性は提出の際はなんかしゃべっていたが提出した後はただ私としゃべっているだけだった。
そこを通過してから出国手続き。バイクのことを話すとタイ側の出口でどうやらもう一作業あるようだ。気温は決して低くない、うだるような暑さの中バイクのところまでいくと先ほどのカンボジアから旅人のサポートに来た男性が私のことを待っていた。
「チップくれ」
・・・ああ、そうだよなぁ。怪しいと思ってたんだ。
「え?俺のために何してくれた?」
これは純粋に気になった。マレーシアのキナバル山でマンディに教わった、働きぶりに疑問があるならチップを払う必要はない、と。
「さっき楽しくおしゃべりしただろ」
まじかよ・・・そこは嘘でもカスタムと交渉したとか言えよ・・・
「いや、楽しくはなかった」
すぱっと言ったね。
「嘘だ。笑ってた。あれは楽しかったからだ」
まぁ、そういう意図を知らずにいれば世間話くらい笑顔でするものなんだが・・・
で、チップはいくらなの?
「1000バーツ(3000円)」
・・・これは吹っ掛けるやり方だ。払うこともできない額をふっかけて次に自身の本当に希望する額を言う。すると安くなったような気がして払ってしまう、というやつだ。
「そうかー、1000バーツかー。そんなもらえたら俺もここで働こうかなー」
日本語でしゃべりながらバイクを押す。
「待て待て待て、チップを払え」
バイクの前に立ちふさがってハンドルを抑える。
わかった、俺の負けだ。払うよ、払う。
10バーツ(30円)を渡して「これで水でも飲め!」と部活の先輩みたいに言う。
不満顔で「もっと!」みたいなことを言っていたが「もっと金持ちの旅行者を探せ」の一点張りで通過。意思が固い人なら1円も払わないんだろうが、騒ぎになったら勝てないので私はちょっとだけ払っておきます。
そしてようやくタイ側を出る寸前、警備隊の隊員に呼び止められる。どうやら書類を書く必要があるらしい。そこからその書類を一緒に書いてくれる隊員が来るまで1時間、ひたすらパイプ椅子で待機させられた・・・
さっき渡したチップで自分の水を買うべきだった・・・己の愚かさを呪いながら国境を通過。ようやくカンボジアである。といってもタイを出ただけなのでまたカスタムとイミグレが・・・
イミグレは日本人が最も得意とするただ黙って順番を待つだけの作業だけだったのでなんともなしに通過。カスタムは・・・国境警備員に聞く。英語は通じないが、「行ってよし!」という素振りだった。バイクはカスタムに行かなくていいらしい。ラッキー!
ヘルメットをかぶり、エンジンをかけようとすると長身の男が話しかけてきた。
「お前!カスタムへは行ったか!?」
怒っている、何かまずかったのか。まくし立てて喋る。ところどころ聞き取れないが英語だ。
「プノンペンからの許可証を見せろ!」
これは痛いところである。カンボジアをカンボジア以外の国の車輌で走る場合、首都プノンペンで許可を得てからでないといけない。これが正式なカンボジア国内を国外車輌で走るルールだ。しかしながら、そんなこと海外ツーリングをしているメンバーからは聞いていない。おそらくその決まりも形骸化していて、隣接するタイの街から来た人間は皆スルーしている。
「俺の名前はリー・ソンバットだ。これからお前にはカスタムに一緒に来てもらう」
国境警備員は知らぬ存ぜぬ顔でまるでこちらに気を留めていない。この男が本当にカスタム関係の人間なのか怪しいので三回くらい聞き直したが苛立ちながらついて来いと答えるだけだった。
距離を空けて歩く、幸いにしてカスタムは大通りに面した大きな建物だった。かなり怪しいがカスタムの奥の小さな部屋に入っていく。そこには三人ほどの職員がいた。
「バイクの書類を出せ、早くしろ!」
こいつは信用できない。自分で書類を一枚ずつ職員に見せる。
職員たちは何か言いながら首を振るのみだった。
「タイのカスタムでちゃんとした手続きを行っている、カンボジアの国内を走りたい」
そう英語で言っても、彼らは困った顔をするだけでカンボジアの言葉を返してくる。
全然わかんねぇ・・・
その問答を見ていたリーが私の肩をたたいて屋外に出るように言ってきた。
「いいか?お前はこのままだとカンボジアを走れない。でも、俺がサポートする。俺は英語もタイ語もカンボジア語も話せるから、お前の代わりに交渉してやる」
お前のどこが信用できるんや・・・
「いや、いいわ。警察にはワイロ渡せば通れるって聞いたし。それじゃ」
男が立ちふさがる。
「ここはカンボジアでお前の知らないことばっかりだ。ほかの国とは違うんだ。」
へぇ・・・そうなんだ。
「で、どんな役に立つの?」
「警官は国外のバイクを見つけるととにかく止めてくる。その時は電話を掛けろ、そうすれば俺が話してやる」
「で、いくらなの?」
「4000バーツ(12000円)」
!!!!!!!!!!!??????????
ありえない額である。
八畳一室できたてのコテージに一人で泊まって700バーツの世界なのだ。いくらなんでも高すぎる。
「払えない。そんな金はない」
「金なら銀行にあるだろう、おろして来い。そうしないとカンボジア旅行はできない」
「払えない(略
この繰り返しのあと、値下げ交渉をしたら
「わかった、3000バーツだ」というところまで来た。
「値引きできるってことは正規の値段じゃないな。お前は信用できない、払わないぞ。」
強く言ってバイクのところまで肩を怒らせて戻る。
バイクのエンジンをかけるとリーはバイクの前に立ちふさがって国境警備員と話をしている。
国境警備員の表情が曇っていき、何やらこちらを注意してくる。
確証はないが「エンジンを止めろ」ということのようだ。
「いいか、国境警備員はお前がここからカンボジアに入るのを許さないといっている。ほかの日に来ても同じことだぞ。」
やられた・・・国境警備員とこの男がグルかはさておいて、現地語が話せる人間とケンカになったら勝てる可能性はない。いくら嘘八百を語られようと、言い返すことができないからだ。論理の矛盾を突きようがない。
観念してついてく、カスタム前の屋台(電話屋)でSIMカードを渡される。
着信履歴を残されて、困ったらここに掛けろ、と言われる。余談ですが、このカンボジアSIMが旅行中におかしくなってケータイを初期化したのでLINEを新規登録する羽目になりましたね。
結局3000バーツからは値切れず。注意事項等を聞かされる。
「いいか、もし警官に止められたら何も言わずに俺に電話を掛けろ」
「この契約のことをほかのやつにいうんじゃないぞ、俺と同じ服を着ている奴にもだぞ。絶対だ」
「帰る一日前に電話をかけろ、SIMカードを受け取る」
契約を誰にも言うなってアコギなことやっとるやんけ・・・
そもそもこの話を聞かされたのが大通りに面してはいるものの露店のかげに隠れる場所でこそこそやりとりしてました。
熱中症ですでに若干ふらついていたのもあって何も言い返さず、出発。
あー、3000バーツが・・・
そこから30メートルくらい行ったところでバイクを停めてコーラを飲む。うむ、ちょっと元気になったぞ。
あ、そういえばこのSIMいくらくらいなんだろう。素朴な疑問なので道を戻る。リーは次のターゲットを見つけたらしく何やらバックパッカーと交渉をしている。近くにオフロードバイクもきっと彼のものだろう。割って入ろうかとも思ったが、気づいたら三時に近い、余裕はないな。何時間国境付近にいたんだ・・・。結局無視して電話屋のねーちゃんにSIMの値段を聞く。
「250バーツ(700円)」
ここでアドレナリンのエンジンがかかりましたね。飲んだのがコーラじゃなくてレッドブルならもうちょっと戦えたかもしれない。
リーと彼の客に横付けする。
「SIMカードめちゃくちゃ安いじゃねーか。そのへたくそな英語で2000バーツかかるはずがねえだろ!」
交渉中の人間に触れさせてはまずいと思ったのか、少し離れたところに誘導してくるがこっちは関係ない。
「金がないんだ。今日ホテルに泊まれない、さっさと金返せ」
「それはお前の問題だ。俺には関係ない。俺の仕事はお前が警察に捕まった時に交渉することだ。」
「金返せ!」
「俺は忙しいんだ、早く行け!」
ここの近くには警察も国境警備員もいない。こういうのは金を払った時点ですでに返ってこない。だからそもそも払ってはいけないのだ。わかっていても怒りとはまた別問題である。
「てめー!上司にお前のやっていることを報告するぞ!」
これはSIMカードをもらったときの禁則事項である。
途端にリーが弱くなる。
「俺には家族がいるんだ。仕事を首になっちまう、やめてくれ」
ここではじめてこいつのPleaseって単語を聞いた。なんかちょっと勝てる気がしてきた。
「それは俺の問題じゃない。あんたの言う通りちゃんとした料金なら領収書が出るはずだ、今すぐ出すんだ」
こういうやりとりをしていると寄ってこなくとも周囲の目が集まってくる。
ここで粋がっていた私も気づきましたね。
「こいつの仲間が複数いたらヤバい」という事実。
リーは「早く行けよ!俺は忙しいんだ!」しかすでに言わない。
・・・潜在的なリスクに気づいたら急に意気消沈してしまう。まぁ、元から気が強いほうじゃないしな。
せめてこのトラップを目の前にいる中国人ライダーに伝えたい。
彼の目を見て、あったことを伝える。
リーが慌ててそれを遮る。
そのとき、中国人ライダーは
唖然としてましたね。
まぁ、そりゃそうだよね。「え?この状況何?」って感じ?
そんで英語も伝わってなかったみたいなので・・・
「英語くらいわかれよ!」って怒りで叫びましたからね。日本語で(笑)
もうこのときは怒りと不安で綯交ぜでした。
結局、お金は戻ってこず、「仲間がいるかも」という恐怖にかられながらバイクに乗る。
そのとき、リーは勝ちを確信したようで「これ以上ここにいるなら警察を呼ぶぞ!」と息巻いてました。
「そん時はお前に電話してやるよ!交渉するのがお前の仕事だろ!」って返せたらよかったんですが、そんなかっこよくはいかず、無言でその場を後にしました。
今は国内でぬくぬくと生活している中で書いてるのもあって、冷静にいろんな可能性や対応を考えられますが、実際に起こった時の瞬発力ってのは長所も短所もすごく顕著に出るなぁと思います。お金とか言葉とかより海外で旅するならそういうところを鍛えるほうがひょっとしたら有用かもしれないなぁ。
結局この国境を越えるだけの作業で莫大な時間とお金を失ってしまったのです。まぁ、完全に自分の至らなさですが。
あ、写真全くないのでこの辺にテキトーに貼ります。
カンボジアの道。土が均されているだけ。車が通るたびに土煙に巻かれる。

これもカンボジアの道。タイでも赤土の道はありましたが、地図で乗ってるわりと大きな道路もずっとこういう感じ。国力は道に出るとしみじみ感じました。

東南アジア最大の湖、トレンサップ湖に映る夕日。漁船も観光船もみんな同じ港から出港する。

ここまでしたのはすべて世界遺産のシェムリアップに行ってみたかったからです。
そんな世界遺産に次の日記で到着します。
ぜひ見てください。
それでは!
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