カンボジア・タイ出国、そして日本へ

茹だるような暑さの夏をお過ごしのみなさん、こんにちは。
夜は寒くて何度も目が覚めるヨーロッパで野営しまくりの宮下です。

今ドイツのミュンヘンにいます。
旅は東南アジアからヨーロッパに移ってたんです。

・・・
はい、ごめんなさい。
ブログ放置して本当にごめんなさい。

東南アジアから戻って4,5,6,7月と実に4ヵ月もあったんですが、何やらいろいろなことに夢中になっているスキに次の旅が始まってしまうという・・・

無職なのに何してんの?って思うかもしれませんが、
色々あるのです、無職は無職なりに忙しいのです。

あと完全に言い訳ですが、今やっているヨーロッパの次に南北アメリカにも行きたいと思っていてそれのいろいろな手続きや準備が大変だったってこともあるんです。ブログを見てくれている友人たちは私のFacebookで旅の出発を知っている方も多いのですが、そういう情報がないままずっとブログを見てくださった人たちには本当に申し訳ない、そして本当に感謝してます。

 

とりあえず東南アジアのブログを終わらせてしまいます↓

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タイでは一か月に及ぶ長い期間、滞在していた。
それに対してカンボジア滞在の期間は非常に少ない、たった数日である。
それでもここに至るまでのタイやマレーシア滞在で過ごして感じた現地の雰囲気が助けになっていくぶんかスムーズにこの国のイメージの一端を知ることができた。

カンボジアを訪れた人々のブログを見ると「この国はまだ子供」という表現をたびたび見る。
ポルポト政権による暗い過去から脱却し、今は未開発の地域ばかりであるとも、エネルギーに溢れる人たちがいる限り、今後この国は大きく伸びるだろう、と。

 

たしかにそうかもしれない。そしてそうなったら私が出会った景色はきっと様変わりするだろう。

土埃が舞う穴だらけの道も瓶で売っているガソリンも重ね塗りした看板も、すべてなくなってしまうと思う。早く旅をしないと今あるものはいずれなくなってしまうな。

 

カンボジア最終日、有名なアンコールワット遺跡の日の出を見に行く。敷地内にある聖池と呼ばれる場所にアンコールワットと朝日が映り込むという有名スポットらしい。日の出の30分ほどまえに到着したが、100人を優に超える人々がそこに佇んでいた。そこかしこから色々な言語が聞こえる。いよいよ日の出がはじまると一同が歓声をあげた、さきほどまで全部違う言葉に聞こえていたのにその時だけは言葉の壁がなくなったようだった。

 

やはり人が集まるだけあってアンコールワットの日の出はすばらしいものだ。そびえる巨大な建造物に逆光が差し、異国情緒というより古代の文明を感じさせるフォルムがジャングルの中に浮かび上がる。それが聖池に反射して視界いっぱいの絶景が広がる。

 

まぁ、ここまで話を広げておいてアレですが写真は日本に忘れてしまいました・・・すいません。

 

宿に戻って身支度を済ませ、タイへ発つ。トゥクトゥクドライバーとしてお世話になったボンは「また来たら俺を呼んでくれ、もしお前の友達がカンボジアに遊びに来たら俺を紹介してくれ」と言って名前と携帯電話の番号を教えてくれた。そのあと、私のサンダルを指さしてはかせろという。はかせたら「すごくいいから俺にちょうだいよ!これすげーいいよ!」と言ってきた。すごいバイタリティというかしたたかさだ。

 

カンボジアのシェムリアップからタイまでの国境である70km弱の道は数日前と同じく、砂誇りにまみれたものだった。道がアスファルトではないので制動距離が長く、車間距離をなるべくあけて走るが、それでも前の車が舞いあげた土埃は避けられない。休憩で止まるたびにタオルを濡らして顔を拭く、元は真っ白だったタオルも今では赤茶色の土がしみ込んだピンクのような色をしている。

タイ-カンボジアの国境。タイを出国し、カンボジアに抜けるときはあんなに手間取ったのに、タイに戻るのはとても簡単だった。タイからバイクを輸出していないかどうかのチェックが厳しいのであって、ちゃんと戻ってくれば、また別に好きなところへ行けば?ってスタンスなんだろうな。

 

国境を超えた瞬間、道がガラリと変わる。日本から来たばかりのときには絶対に感じなかったことだが、今は「タイは物に溢れている」と感じる。これは完全に相対的な話で、カンボジアに物がなさすぎるだけなのだが。やはり国境というものは大きいんだ。

 

タイを北上する。最終目的地はバイク購入から現地滞在、越境、果ては登山までお世話になった高橋さんのお宅があるチェンダオだ。道を走りながらここ数か月の色々な思いが胸に去来する。

 

秋の日本を縦断したときには、自然そのものの美しさに感動した。
最終地点の九州・阿蘇外輪に到達するまでに出会った風景は一生の宝物だし、同じ時期にほかの場所もいつか行ってみたい。

 

そしてもちろん、東南アジアでも、多くの景色を見ることができた。熱帯・亜熱帯の植生とそこに暮らす人たちが織りなす景色は圧巻だった。美しいと表現するよりは、「エネルギーに溢れた、けれどもどこかのんびりとした」という言葉が近いかもしれない。
そして、この東南アジアの旅では日本の旅で感じないことを強く感じた。

 

旅人という立場が本当に特殊だということ。

もうすでにいい大人なのに、旅をする多くの者がその地域のことを十分にを知らない。(だから訪れるわけだが。)そのために外から来た人として許される場面と、外から来た人として許されない場面を両方とも味わう

その両極端なところで人間らしさというか、普段の生活で触れない人間の暖かさや無関心さに触れることができる。言葉が通じない、遠い地域のほうがよりいっそう強く感じる。

都会と田舎を比較すれば人の純朴さに多少の違いはあると思う。都会の人はいい意味でも悪い意味でも無関心な人が多いし、田舎の人はその逆が多い。けれども、大した違いではない。
都会でもやさしく親切な人はいるし、田舎で困っても遠目に見るだけで話しかけると逃げていく人もいる。

 

そういう出会いを繰り返すことで感じるのは

やさしさや無関心さの源泉は国籍や性別、年代ではなく個人の資質だということ。

 

そしてこそ誤解すべきではないのは、自分にやさしくしてくれた人があくまで特別であって、そうでない人は別に普通の人だということだ。悪意などもちろんなく、暮らしの中でわけがわからないやつがいたら関わらないでおこうというのはごく自然な価値観だと思う。そしてだからこそ、より一層、そこを越えてやさしくしてくれた多くの人たちに感謝したい。

 

3日ほどかけて高橋さんのお宅に到着。この旅で感じたことをアルコールを交えて話す。高橋さんは快く話を聞いてくれた。バイクで転んでエンジンが割れたことを話すと、「近くのバイク屋さんで直してから売ったほうが経済的かもしれない」と口を効いてくれた。バイクを修理し、購入したバイク屋で売る。修理したとはいえ、私の予想を大きく上回る値段で買ってもらえた。すべて高橋さんのおかげだ。

 

日本に帰る日、バス停まで高橋さんが送ってくれ、バスが車で話し相手になってくれた。人のやさしさはその人個人の資質だ。高橋さんにはこの旅で本当によくしていただきました、本当に感謝しています。

 

 

チェンダオからチェンマイまでバス、チェンマイからバンコク経由で日本に戻る。

終わってしまえばあっという間なんだけど、思い出すと莫大な情報量があって変な感じになる。

それだけ実り多いものだったんだなぁ。

 

久しぶりに到着した日本は3月中旬、安心もあってか帰って数日で風邪を引きました。

 

2016年1月から3月中旬まで、数ある東南アジアの国々の中でも今回は三カ国をじっくり周った。そこで感じた些末なことをこのブログを写真とともに書いてきました。もし、私のブログを読んで東南アジアのすばらしさの一端が皆さんに伝われば幸いです。

 

本当にお勧めです!!

 

そして最後に、ブログを読んでくださった皆さんのおかげでここまで来ることができました。

お付き合いくださったことに感謝します。

 

本当に、本当にありがとう。

 

それでは!

 

 

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カンボジア観光最後の日

みなさん、こんにちは。海外ツーリングフェスタを十分楽しんだ宮下です。

 

日記もようやくあとちょっとというところまで来ました。

のらりくらり書いてたのに読んでくれた人のおかげです。

 

この日はカンボジア最後の日。

いつも文章が長いのでカンボジア最後の日記は写真ばっかり貼っていこうと思います。

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今日はカンボジア最終日。特にこれといって強烈に行きたい場所もないので、昨日感動したベンメリア遺跡近くまで単独でいって適当に遺跡を見る作戦にした。

 

エンジンをかけていざ出発。

 

シェムリアップのメインストリートを抜けて赤茶色の土道を進む。しばらく走ると露店街が見えてくるので左折して侵入。ここは全然食料品が売ってなかった。バイクを降りて写真を撮る。

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すると奥のほうから・・・

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ゴツイのが来た。これも後ろの荷物を荷車で支えているが、牽引しているのはバイクである。

 

露店街を出て道を進むとすぐにまた森に囲まれた赤茶色の土道になる。

 

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向こうのトラクターかな?エンジンが壊れんばかりの音をあげて低速で走っていた。

 

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自転車に乗る女の子たち。これから学校だろうか。

 

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昨日ベンメリアのチケットを買った施設。昨日買ったのは一日分なのでまた同じものを買う、係の人が不愛想。

 

途中、小学校高学年くらいの女の子二人が道を通せんぼしてくる。

「え?何?」

と思いバイクを降りると、学校から子供たちが一斉に出てきた。

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カンボジアの小学校はお昼の時間になると子供たちを家に帰すのかもなぁ。

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下校する子供たち。小さい子もいるから小学校だと思うけど制服なんだね。

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兄弟なのか、カップルなのか・・・ドラえもんのバッグがかわいい。映画化だけじゃなく商品化にもやっぱり出来杉くんは登場しないんだなぁ。

 

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歩行者は右側通行なんだなー。車も右側通行なんだが・・・

 

そのうち通せんぼは解除されて再び道を進む。途中、ヨーロピアンのライダーと遺跡はどっちだ、みたいな話をしたりして目的地を目指す。そうしてたどり着いた遺跡のゲートキーパーは完全な昼寝中。めんどくさそうにチケットを売ると私がそこからいなくならないうちにまたソファへ。パンフレットもないし、どこへいったらいいかわからないので適当に進む。

 

そして遺跡発見。

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いやいや、壊れすぎだろ。説明のパネルとかもないし。まぁ、日本語の表現だけかもしれないけど「遺跡」って「のこされたあと」だからね・・・メジャーじゃないところならこんなもんか。

 

 

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Starting pointとある。よもや地雷関係のことではあるまいな・・・自分の立っている場所からバイクを置いている場所が急に遠く感じた。

 

 

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これはその周辺にあったほかの遺跡。ここは人が行き来している形跡があったのでわりと安心して見学できた。

 

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日向が暑い分、木陰は天国だ。見上げると太陽が木の葉の間から時折顔をのぞかせる。

 

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決めました、寝ます。ひんやりした石が気持ちいい。昼寝は昼ビールに負けず劣らず素晴らしい。

 

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しばらく寝てバイクに戻る。エンジンケースに付着した赤土が濡れている。雨は降っていないので、つまり漏れたエンジンオイルが拡がって濡れたものだということだ。事実上、故障しながら走ってる状態。

 

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脇道は怖くなってメインの通りに戻る。ふと見た風景がこれぞ乾季って感じだった。

 

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メインの通りを進む。時折すれ違うバイクや車があると嬉しくなる。道しるべはそれくらしかない。

 

 

到着した遺跡の前にはレストランがいくつか並び、観光バスまで停まっていた。さっきまでの光景を考えると、ここの賑わいっぷりは白昼夢のようだ。

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壊れた遺跡。ここに生えていたであろう木も伐採されている。遺跡っていうか廃墟ですな。

 

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カンボジアではこの立派な木を多く見る。一本の木が上方で別れているのではなく、根元で別れているものが上方で一本につながる。樹皮もきれいな白色でより一層不思議に見える。

 

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そして進んだ先にあったピラミッド型遺跡。観光サイトでたまに見るけど正直これを見るために海を越える必要があるのかとは思いましたね。

 

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ピラミッドに登る。といっても整備された木の階段を上がっていくので苦労はほとんどない。

 

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そして上からの眺め。この景色を見てわかった、ここは雨季というか樹木に葉がついた頃来るとすごくいい場所なんだ。密林の中にいきなり現れるピラミッド。その頂上からあたり一面の緑がどこまでも続く光景。入り口だけ見てしょぼいとか思ってすいませんでした、ほかの方が行くときには葉がついた季節をおすすめします。

 

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帰り道、遺跡の補修中。驚いたのは足場が竹ではなく鉄パイプで組まれていたこと。でも帰ってきて写真をよくよく見ると、これは人が歩くためのものじゃなくて建物をそのままに固定する支柱の役割なのかもしれない。そうだとすると保存の方法が結構雑な印象。

 

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一部では新緑のように鮮やかな緑があるところも見た。土と緑、そして空の青と雲の白。自然の色遣いは本当に美しい。

 

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途中見かけた脇道。植樹するために一度焼いたのか、それとも地雷をあぶりだそうとしたのか。怖すぎていけないので横から見るだけ。静かに長い年月埋まっていても突然爆発する可能性がある、毒もそうだけど地雷って呪いとかの類にすげー似てる性質だよね。

 

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その道を抜けて市街地まで戻ってきた。途中の遺跡近くでジュースを買う。コーラの価格は日本で買う額とあまり変わらない。

 

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シェムリアップ市街地。ホテルにこのまま帰れば、そのまま気持ちよく寝れそうだが、今日は昼寝もしたし最終日なのでもう少しだけ外をうろつく。

 

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自転車に乗るおねーさん。私が日本で乗ってた自転車よりきれい。あ、もちろんお姉さんも綺麗ですよ。

 

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トレンサップ湖に続く道。さきほどまでの喧騒は一切なく、小さな商店や住宅、そして多くの空き地が道の脇に並んでいる。

 

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友達と並走する少年。タイでは子供もバイクに乗っていたが、カンボジアでは子供が自転車、大人がバイクみたいに別れてる気がする。それは別にルールの徹底じゃなくて、経済的な理由によるものなんだと思う。

 

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道端には当然のように動物がいる。日本でいたら明らかに違和感なんだけど、カンボジアの風景だととてもよくなじむ。

 

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絶賛、工事中の道。アスファルトで舗装しているわけではなく土の道を平らにしているっぽい。たぶんただ均しているのではなくて、水はけのいい土とかに変えてるのかもしれない。カンボジアの道路がアスファルトに覆われるのはいったいいつになるんだろうか。

 

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カンボジアカップル事情。デートは基本スクーター。

 

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割と道路は広いのだが砂利がはみ出したりして一部狭い。そういうところでは片車線側が待つ、とかそういうのはない。狭くなった道を強引に行く、危ない。

 

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バイクはノーヘル、Tシャツ、半ズボン、ビーサン。日本の教習所だと悪い例の見本みたいなスタイル、これがオーソドックス。

 

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そろそろ帰ろうかな・・・とコーラを飲んでいた時に見かけた親子。子供のほうは・・・

 

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!?

 

どうやらカンボジアの小学校には仮面舞踏会の授業があるようだな・・・

 

こうして、この日は満足してホテルに戻った。カンボジア最後の日はいろいろなところで写真が撮れてよかったなー、やっぱりソロツーリングと写真の相性はバッチリだ。

 

よし、明日からまたタイに戻るぞー!

 

それでは!

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天空の城ラピュタのモデルになったと噂がある遺跡ベンメリア

みなさん、こんにちは。デッドプールを見てミュータントも大変なんだなって思った宮下です。

 

みなさん、見てないですか。まぁ、公開してまだ二日ですからね。

最高にネタばらししたいですが、そこはいい大人なのでグっと堪えますよ。

 

今日はアンコールワットでガッカリした後のベンメリア遺跡の話です。

ラピュタのモデルにもなった(という噂がある)場所なのでかなり期待してました。

 

では、日記の続きです↓

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たしかにカンボジアの道には警察がそこら中にいるし、交通事情もよろしくない。

バイクのエンジンから少しずつオイルは漏れているし、ガソリンスタンドはなく個人商店で砂埃をかぶったガラス瓶に入ったガソリンの純度も気になる。

 

ホテル専属のトゥクトゥクドライバー・ボンのトゥクトゥクに乗せてもらう理由はたくさんあったが、それではせっかく自分で走ってきたバイクがあり、それに乗って自由に走れるという利点がなくなってしまう。かといって不安要素は払しょくできないので折衷案をとりたい。ということで、この日はボンと二人でツーリングしようと決めた。

「人が乗る荷台をはずして、バイクオンリーで来てくれ」

この意図がなかなか伝わらなくて苦労したが、次の日の朝にはちゃんと単車の状態になった彼の愛車でホテル前に待機してくれていた。

 

「今日一日カンボジアを走るティーチャーだね、よろしく!」

返事も昨日と違ってyes, sirではなく親指を立てるスタイル。なんだかんだで、外国の人とはじめてツーリングするなぁ。

 

先導するボンは時折後ろを見て調子を聞いて来たり、警察がいるところではなるべく近くで走行するように気を配ってくれた。

 

彼は出会った当初「警察は賄賂欲しさに外国のバイクを停めてくる」と言っていた。それは立場上、トゥクトゥクに乗せるための口実かと思っていたが、実際警察の近くを通るときにはいつも以上にゆっくり進み、私が無事に通過できるかどうか少し先で見守っていてくれた。そういう心配はあったものの、道自体は非常にのどかだ。赤土色の道がより一層、そう感じさせてくれるのかもしれない。まぁ、これが雨季だったら本当に絶望の旅になるだろう。

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しばらく進むとベンメリア遺跡一帯のチケット売り場がある。

どうやらカンボジアはエリアごとにチケットを売っていて、遺跡の手前でそれを見せて入場するスタイルが一般的らしい。チケット売り場は主要路に沿って設置されているので、例えガイドなしでもその存在を知っていればまず見逃すことはないと思う。道で見かける民家より明らかにきれいだし。

 

一日チケットを買って遺跡エリアに近づく。途中、ボンの友人がやっているというレストランで早めの昼食をとった。最近水分は水かコーラしか摂ってない。

 

そこからまた土煙をあげてバイクを走らせる。街からほど遠い原野のような景色はタイやマレーシアで味わうツーリングとはまた違う感じがして楽しい。ただ、走っている途中で片足のない少年を見かけた、ここは地雷のある国だということを改めて痛感する。

 

そうしてしばらく走ると遺跡の入り口らしきところに着く。

ここがおすすめのベンメリア遺跡か・・・

川を渡る橋があり、その入り口で係員がチケットをチェックしている。こんにちは、と笑顔であいさつしてくる。いろんな観光客を見るとなんとなく何人かわかるんだろうな。

 

 

遺跡へ続く通路の両側には破壊されたナーガの像が鎮座していた。

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途中で見つけた保存状態の良いナーガ。細工が非常に細かいことがわかる。

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正面。模様に宗教的な意味があるんじゃないかって推測にすぐ至るんだけど、それが何なのかさっぱりですな。美術館とかもそうだけど訪れる場所とか見学するものに対する予習があるとすごく感慨深いんだよね。まぁ長期の旅をしているとその辺ずぼらになりますが。私だけですか、そうですか。

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そしてこれが遺跡本体。

おお、壊れすぎ(笑)思ったより崩壊してるな・・・大丈夫なんだろうか。

 

ここベンメリア遺跡は40kmほど離れているもののアンコールワット遺跡群の一つとされている。全貌は明らかになっていないが、その広大さはアンコールワットを凌ぐとも言われている。ジブリ映画「天空の城ラピュタ」のモデルとなっているという噂がまことしやかに囁かれているが、この遺跡が有名になったのは映画の公開後なのでそれはデマではないかという見解のほうが説得力がある。まぁ、これだけ森が石造りの遺跡を飲み込んでいる様子はたしかにラピュタっぽい。

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観光客はいるもののアンコールワットのそれよりもはるかに少なく観光しやすい。右から反時計回りに遺跡を周回する。崩れたブロックの数が尋常じゃない。たぶん、積み重なった場所には門のひとつでもあったんだと思う。

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木陰で休む女性たち。見てわかる通り樹木の幹の太さが半端ない。こうした巨木がそこかしこに生えていて、自然にも異国情緒というのがあるんだと感じた。

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あー・・・・たしかにラピュタっぽい。木に飲み込まれた古代都市っていうところがかなりダブって感じる。

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遺跡内部は崩壊が進み、人の体ほどある崩れた石の山を登ったり下りたりする必要がある。それはさすがに無理なので観光客の見学ではきれいな木道が設置されている。感謝感謝。

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壁に彫られた宗教的な画。ナーガを見たときは粘土の上にひもを押し付けた縄文土器みたいな手法でつくってるのかと思ったけど、これをみたら石に直接彫刻しているみたい。一筆書きじゃないけど、ミスれない仕事で大きな作品を作れる人は本当にすごい。

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どこを見てもタイムスリップしたような不思議な雰囲気がある。木が巨大で木陰もそれに比例するから遺跡見学中は涼しく、とても居心地がいい。あたり一面この景色なのでまるでどこか別世界に来たようだ。とても過ごしやすく鳥のさえずりなんかもところどころ聞こえてくる。ビール片手にBBQしたい。

 

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ちょっと高台みたいな場所から遺跡を見る。率直に言うとゲームに出てくるダンジョンだよね。

 

これはもうすごいワクワクするし、メチャクチャ楽しい!

 

別に何かギミックがあるわけじゃなく見学用の木道をただ歩くだけなんだけど、それでも「あの角の先には何があるんだ」っていう感覚を味わえる。若い人だけじゃなくていい大人でもワクワクするんじゃないか、これは。この遺跡の中から見える風景でここが一番好きです。

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これは何かのレリーフかな。ゲームだとこの石のくぼみに水晶をはめ込んだりすると「どこかで何かが動く音がした」ってなるんだよね。こういうしょうもない話も友達と行ったりすると、めちゃくちゃ盛り上がったりするんですよね。場所によって単独行動のほうが気分が盛り上がったり、仲間と一緒のほうが楽しかったりするんだよなー。

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いやー、予想以上に楽しかった。当初の予定を大きく超えて長く居座ってしまった。アンコールワットを見たあと、正直遺跡に対して何の楽しさも見いだせないんじゃないのかっていう不安に駆られたけどそんなことはなかった。

 

ボンにすごくよかったと告げてお礼を言う。これから中心地へ明るいうちに戻ることを考えると、ほかの場所をいくつも見るのは無理そうだ。とはいえ、このあたりの道はすべて赤茶色で私にとってはずいぶん新鮮に見える

 

「ゆっくりはできない」と言うボンを流しながら写真を撮る。これは遺跡正面のとおりで植物の屋根を持つ家がいくつも並んでいるが、商売のため雰囲気を出そうとこういう風にしているのではなく、向こうの標準的な家屋がこういうものらしい。もちろん都市部にはこうしたものはないが。

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結局アンコールワット周辺にあるどこかの遺跡に行くことにした。人はたくさんいるものの、あの辺りは街からほど近いし、遺跡も集中しているため気が向いたところにふらっと立ち寄ることもできる。帰りは違う道を走ろうとボンに提案したが、警察に呼び止められなかったのが彼の中で印象に残ったらしく、「来た道は安全」というもっともな意見で復路が決まった。実はこの日、ホテルに帰って食事をしたレストランで会ったカンボジア在住2年の日系ブラジル人に、「パスポートの顔写真欄に2ドル挟んでおけ」とアドバイスを受ける。それがこの界隈の常識らしい。警察は賄賂でなんとかなる、というのがカンボジアに住む人々の共通認識のようだ。

 

また一時間、ゆっくりと時間をかけて40kmの道のりを走る。ほかの東南アジアの国もそうだがここカンボジアはそれに輪をかけて信号がない。時速40kmで走ると一時間後にちゃんと40km先に到着する。そういう意味ではツーリング計画を立てやすい。

 

ここはアンコールワットの近くの遺跡。ここからなら夕日が見えるといってボンが推薦した場所だ。ピラミッドのように小山になった遺跡を登っていく。そこかしこで自撮りをしている欧米人を見かける。こういう遺跡というか文化が垣間見えるところに欧米人って多いよなぁ。逆に自然公園みたいなところは団体の中国人客が多い気がする。まぁ、あくまで感覚なんだけど。

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夕日は曇り空に阻まれて空の色も綺麗につかなかった。みんな落胆しながらも笑顔でそれを撮影する。写真映えしないというのもあったけど考え事がしたくてその時は写真を撮らなかった。

 

今日一日走って、やはり以前よりエンジンオイルの漏れ量が増えている。バイクを同じ時間駐車してもその下にできるオイル染みの面積が増えているからだ。

 

このバイクでラオスまで行くのは危険だ・・・今回はラオスの旅はあきらめてタイのチェンダオに戻ることにするか。

 

またの機会でラオスに行こう。

 

次の機会があるかないか、それは自分次第だ。当たり前である。

でも実際東南アジアを廻ったことで、旅に出る前と後でちょっと考え方が変わった。

 

出発前はこういうことできるのは人生で一度きりだと思っていた。仕事を辞めてキャリアがなくなることに対する不安を「人生で一度きり」という言葉を頼りにすることで踏ん切りがつけたのは事実だ。周囲の人たちがいう「危ないからやめといたほうがいい」という言葉を押しのけて出発できたのも同様である。そういうある種の捨て身のような気持で「海外ツーリングはできるんだ」って出発前は思っていた。

 

そして今、それを実行する中で具体的に何をどうしたら良いのか、全体像から細部に至るまで体験することで「なんか普通に行けるもんなんだな」という気持ちが芽生えた想いがある。だから、きっとまた来れる。タイからラオスに入り、タイの北東部に抜けて小さく一周、途中でバイクを置いてミャンマーを巡る、次はそんな風に旅しよう。

 

まあ、これが自信なんだと思う。恥ずかしながら改めて思うけどやっぱ挑戦したほうがいいんだな。

 

そんなことを考えて雲の向こうに沈む夕日を眺める。沈む前に下りないと暗い階段で人混みができるという最悪のパターンになりそうなのでいい頃合いで撤退。ボンには明日をカンボジアの最後の日にすること、一人でツーリングしたいので今までありがとう、ということを伝えた。彼はとにかく気を付けろ、またカンボジアに来たら俺を呼んでくれと電話番号までくれた。

 

ホテルに戻り、レストランで夕飯を食う。日系ブラジル人の人と会っていろいろな話をしながら食事をとる。カンボジアの生活でとまどったこと、いかに日本が暮らしやすいか、ブラジルの政治が腐っているか。話が楽しくてついついビールを飲み過ぎてしまった。明日は一人でツーリングなのに大丈夫だろうか・・

 

読んでくれてありがとう^^

それでは!

 
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2 Comments AsiaSoutheast Asia

あんまり感動しなかった某サイト旅行先人気No.1

みなさん、こんにちは。だんだん料理のレパートリーが両手くらいの数になってきた宮下です。

 

最近ね、ローストビーフ丼にはまってるんですよ。

もう字面だけで相当うまそうなんですが、これが簡単にできるわりにちゃんとうまいんです!

ますます日本から離れるのがつらくなりますが・・・

 

日本のありがたさをかみしめながら今日も東南アジアの日記の続きを書きたいと思います。

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タイ-カンボジアの国境を越えたら明らかに道の様子が違う。主要路はひび割れてはいるもののアスファルトなのだが、そこから伸びている支流のような道路はほとんどが土そのままである。

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リーの言葉がときどきひっかかる。

「警察が国外のバイクを見たら必ず停める」

 

別に密集しているわけではないが、警察は案外多く、主要路でいくつも検問をしていた。

しかしながら、一向に停められることはない。いつ停められてもいいようにノロノロと走っていたのがよかったのかもしれない。

 

この頃になると、修理したバイクに異常が見られ始めた。少しずつ、エンジンオイルが漏れているのである。空冷エンジンなので気温が高いと放熱効率は落ちる、エンジンが温まれば熱膨張により補修部がゆがんだり、内部の圧力も高くなるなんて影響も出てくるはずだ。ドバドバというわけではないが数秒に1滴ずつ、確実に漏れている。それゆえにどれだけ減ったのかもわからない。

 

次の街までエンジンオイルは持つんだろうか。エンジンから白煙があがっていないか注視しながら走る。

結局、国境から最初の大きな町まではエンジンオイルがなくならなかったらしい。ちなみにエンジンオイルを変えてくれたバイク屋は8歳の男の子が作業していた。親父さんは別のバイクをいじっていてエンジンオイルくらいなら子供にかえさせるらしい。

 

まぁ、学校でバイクの整備について習う国だからな。それくらい生活に根付いていれば普通のことなのかもしれない。修理代を払い終えたあとに、いろんな国の言葉でチップを要求してきたが丁寧に断る。

1ドルクダサイ、1000エンクダサイ・・・・と言ってたけど額が違うのでちょっと笑いそうになった。

 

そんなこんなでアンコールワットにほど近いシェムリアップに着いたのが昼間くらい。日本人に人気の観光地だけあって日本人が経営するゲストハウスも少なくなかったことですぐにチェックインできた。

 

いろんな宿に泊まってきたけどやはり日本人宿は居心地がいい。長期の海外旅行をしているとふと日本が懐かしくなるのでこういうところにくると入り浸ってしまいそうだ。しかし国境で無駄に大枚をはたいてしまったのでとりあえず夜まで寝てバーに繰り出すなんてことはできない。一刻も早く目的の遺跡を見に行かなくては。

 

タイでさんざんお世話になった高橋さんからアンコールワットにはフリーパスのようなチケットを買う必要があると聞いていた。そしてそのチケットは自家用車で乗り付けると買えないとの情報もそのときもらった。なんでも市内を走っているトゥクトゥクやタクシーでないと買えない仕組みにすることで現地の雇用を守っているらしい。だから、我々海外ツーリング組はそのチケット売り場の少し手前に停めて、何食わぬ顔で歩いて買いにいくべし、とのことだった。

 

ホテルのカウンターで場所を詳しく聞く。対応してくれたにーちゃんは「自分のバイクで行く」というのに興味津々で表までバイクを見に行った。

「おお、タイのバイクか。これだと警察に停められるね」

 

はて、どっかで聞いたセリフだな。

「いや、ここまでの道で検問はいくつもあったけどどこも声をかけられなかったよ」

「それはラッキーだね。ルールを破らなくても警察は外国人のバイクを停めてくるよ。ワイロのためにね、ルールを破るのは警察のほうなんだ」

 

な・・・なんだと・・・

「ここは交通量も多いし、運転も荒いからトゥクトゥクで行ったら?正直、君の国からしたら大したお金じゃないと思うよ」

 

うーん・・・ワイロっていくら取られるんだろう。相場があるにはあるんだろうけど・・・

聞き込みを続けるとホテル専属のトゥクトゥクドライバーがいるらしい。そっちにうまく誘導されている気もしたけどエンジンにあまり負担をかけずに観光することを考えると利用したほうがよさそうだ。あんな赤茶色の道路の上でバイクが停まったら本当に数十キロ歩かなくてはならないかもしれない。

 

しばらくしえ色黒の男性が笑顔で近づいてきた。名前はボン、綴りは忘れてしまった。自己紹介をして早速乗り込む。彼のタクシーは写真ちょうど前方のものと同じようにバイクの後ろに客を乗せる荷台がついている。排気量の小さいバイクがうなりをあげて客の乗る荷台を引く、東南アジアのバイクは本当に働くバイクだ。

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アンコールワット遺跡群に入るには回数券かフリーパスを買わなければならない。これが絶妙な売り方で、1日分、3日分、1週間分みたいな感じで売られていた気がした。有名どころだけ見れば2日で十分なんだが・・・そうボンに不満を言うと「これがビジネスだよ」と笑っていた。ちなみに彼は英語が話せるけど読めない、ラジオを聞き、客とのやりとりの実践だけで覚えたらしい。旅の初期には正直ロクな教材もないのにそうやって英語スキルを獲得するのはすごい!と思っていたけど、よくよく考えればキャピキャピした女子高生が積分計算できたりする日本のほうがやっぱすごいんじゃないかと思う。

 

世間話をしながら交通事情を観察する。ふむふむ、なるほど。やばい、バンコクの次くらいに危機感を覚える。右側走行ですでに違和感があるのに方向指示器が全く仕事をしていない。ただ、救いなのはそういう奇怪な動きをする車両を警戒してみんなゆっくり走っている気がする。

 

世間話をしているとすぐにアンコールワット遺跡が見えてきた。近づくごとに人、人、人。建物に続く太い道は観光客でごった返している。とにかく人が多すぎるので左の避けて眺める。たしかに迫力はありそう。

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バイクを停めた屋台裏にボンを残して遺跡に向かう。とにかく人が多いんだけど、セルフィーを撮るために真ん中に止まる人間が多いこと多いこと・・・といっても私も写真を撮るときは止まるのでむしろ気をつけなきゃと思いましたね。旅をしていて「こいつ、マナー悪いな」と思うところは何らかの形で自分もその轍を踏んだりしてるなーとふと思います、気を付けます、すいません。

 

そうでなくても日記が長いとのアドバイスを貰ってるのでアンコールワットの説明は省きます、ググってくだされ!近づくと結構朽ちてますね・・・ポルポト政権の弾圧でこういうところを管理できる能力ある人は粛清されちゃったんだろうなー・・・、遺跡の作りとかより近代の影が黒すぎてそっちのほうに考えがいってしまう。

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遺跡構内の仏像。外周部分と呼ぶのが正しいかはわからないけど、お寺でいう本殿を囲う巨大な廊下のような建物の中で撮影。石造りの建物らしく洞窟にいるように中は涼しかった、建物の窓も大きく作られていて驚くほど快適な空間でしたね。実際、窓枠に座って昼寝をする欧米人がたくさんいました。

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建物自体はやっぱり迫力がある。無骨ながらも掘られた模様は繊細で、作られた当時では最先端の技術に違いない。粘土ならわかるんだけど意思を彫ってるからね・・・

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まぁ、ホントすごいですよ。

 

すごいけど・・・

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意外や意外。素直に言うと全然感動とかなかったです。

日本人の渡航先満足度1位と某旅行サイトで見たから期待もしてたのに・・・

 

人がいっぱいいたから。想像のほうが勝ったから。まぁ、いろんな自分の中の情報がいろいろ絡まってこういう感想になったんだろうけど。

 

おこがましいけど、こういう遺跡の良さの中で神秘さってのは大きいと思うんですよ。

秘境っぽいところというか、迷路みたいな・・・つまりそういうところから生まれてくるワクワク感みたいなのを期待している節が私にはあります。

 

ところがどっこい行ってみたら、外国人観光客の中の日本人の多さ。特に老齢の方々が多いこと多いこと。鼻血とか出したらその辺のおばあちゃんがティッシュくれそうなくらい日本人いましたからね。そこらじゅうから「あら、すごいわね~」とか「暑いわね~」とか聞こえてくる。

 

こういうところだとちょっと秘境感はない。

ちょっとがっかりだったけどすごいことはすごかったな。

 

バイクに帰るとボンは英語の本を読んでました。

「すごいけどちょっと観光客が多すぎてゆっくり見れなかったよ。観光客が少ない遺跡を知らない?」

「ここらへんは遺跡群だから観光客がたくさんだよ。さっき買ったフリーパスのチケットで効率よく回れる範囲に有名な遺跡が集中してるんだ。今から行くのは時間としてかなりギリギリだけどベンメリア遺跡っていうのが一時間ちょっと行ったところにある、ただ着いてもそんなに長くは見れないけどね」

 

おお、そんなところがあるとは!じゃあ、明日はそこにして今日はもうどこかでのんびりしたいなー。

「じゃあ、トレンサップ湖を見に行こう。ちょうど夕日の時間には間に合うと思う」

そういってボンはトゥクトゥクを走らせる。トレンサップ湖は東南アジア最大の淡水湖で噂によるとワニもいるらしい。シェムリアップも海からは遠いものの、この湖が近くにあるため新鮮な魚が市場に並ぶらしい。

 

「タカ、ここからは道がすごく悪い。だからしゃべるときは気を付けてね」と笑いながら言ってくる。

シェムリアップ市街からトレンサップ湖は文字通りの悪路で、民家や商店に沿う道路のはずなのに凹凸やぬかるみが点在するタイヤにやさしくない道が30分ほど続いた。さすがにここには自分のバイクで来なくて正解だったと思う。ボンはトレンサップ湖への道が悪いからチップをくれと出発前に言っていたが、その言い分も理解できた。

 

ここはもうトレンサップ湖近く。フェリーで学校と自宅を往復する生徒が港に向かっていた。

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夕日が近い湖面は空の色を反射し、ほのかな茜色に染まっていた。

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船の先に座る少年のシルエットが印象的だった。船内の誰かとおしゃべりでもしているんだろうか。コントラストを強くして、WBを曇りにしたら湖面が黄金色になった。

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トレンサップ湖の西岸に夕日が近くなっていく。湖面に出ているのは夕日を見るツアーの船ばかりで漁業で活躍する小さな船はすべて港に停泊していた。漁業・通学・交通・観光、生活用水のほかにもこの地域の産業の主幹としてこの湖はずっと人々の暮らしを支えてきたんだろうな。

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帰り道、ボンが明日ベンメリアに行くなら自分を指名してくれと言ってきた。こっちはホテル専属ドライバーが一人だと思っていたので面食らったが数人はいるらしい。今日一緒に過ごして彼は話しやすいのでそこは快諾。

 

明日は(ジブリ”天空の城ラピュタ”のモデルになったと噂がある)ベンメリア遺跡に向かいます。

 

それでは!

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国境でまんまと騙された話

みなさん、こんにちは。「まんまと」って言葉を作文ではじめて使う宮下です。

 

この日記を読んでくれている方は「まんまと」って言葉を使ったことがありますか?

 

いきなりですけど「まんまと」って使わないですよね。だって、「まんまと」の後に続く単語って「騙された」とか「嵌められた」とか何がかしらの被害を受けたネガティブな言葉ばっかりですからね。

被害をこうむるだけでも腹立たしいのにそれに加えて相手が”うまくやった”っていう若干賞賛気味のフレーズでもあるわけです、稀にでもこの言葉を使うのはご免こうむりたいですよね。

 

 

そんな言葉をようやく到着したカンボジアの国境で噛みしめることになるのですが・・・

ようやく旅の終わりがちょっとずつ見えてきた、やったー!!

 

ここに来て私は悟りましたね

海外長期旅行で一番大変なのは日記書くことやったんや・・・

 

あ、じゃあ、書きます。今回の日記は短いのでまぁまぁ読んでってください。

—————————————————————————————————–

カンボジアに入国するにはビザが必要だ。知らない人がいるかもしれないので一応書くとパスポートとビザには簡単に言うと下記の違いがある。

パスポート:身分証明書

ビザ:入国許可証

 

自国と入国したい国の間で条約が締結されていればビザが不要ということもあるが、両国の関係がそこまでいっていないとこのビザが必要になる。だから同じ国に入るのでも日本人はビザなし、ほかの国の人はビザが必要とかある。

まぁビザ必要くらいならいいんですよ。そもそも入国禁止の国もあるし、入国したい国と仲の悪い国に渡航歴があると入国できないとかありますからね(韓国と北朝鮮とか)。

 

 

ビザくらいなら安いもんじゃーい!とタイ-カンボジア国境近くのカンボジアビザセンターみたいなところに朝一で向かう。対応してくれたカンボジア人は中国人ばっかり見てたからジャパニーズは歓迎だよ、とリップサービスを使ってくる。この国境付近で取るビザ、実は安くない。滞在できる日数でビザの価格も変わるのだが、東南アジアの物価から考えると笑うに笑えない額である。

 

明らかに外国人観光客から金をせしめようという魂胆見え見えなのだが、カンボジアはポル・ポト政権とかいうヤバ過ぎる歴史があるのでそこは何も言うまい。

 

ポル・ポト政権についての大まかな流れはインターネットで流し読みしただけなので私がこれから書くものは正確ではないかもしれない。そもそも俺はポル・ポト通だから、という人も読み飛ばしてもらって構わない。説明の開始と終わりを====で示した。

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1975-1978年、この3年間で100万~300万の人間がカンボジアで粛清された。カンボジア人に、である。なんでこんなことが起こったのか、それについてネットで見聞きした正確かどうかわからない私の見解をザックリと書く。

 

 

1965 ベトナム戦争。アメリカがベトナムのゲリラ戦術に苦戦(森林地帯に蟻の巣のように複雑に張り巡らされたトンネル内に潜み地上のアメリカ兵を奇襲。穴は体格の大きいアメリカ人では入れないように小さく掘られたり、竹やりの落とし穴になっていたり。アメリカ軍は軍事力こそ圧倒していたものの、この戦術に戦闘の長期化を余儀なくされた)

 

アメリカ「ベトナム粘るな~、なんか武器いっぱい持ってるし。カンボジアさん、なんか知らん?」

カンボジア「知らないっす!武器とか食料とか全然送ってないっす!」

ベトナム「(カンボジア・・・イケメン///)」

 

当時、カンボジアは中立を明言していたが、実際はベトナムを支援していた。これはカンボジアから見たベトナムはそれなりの大国であり、隣接していることから敵対したくないという政府の判断だったらしい。

 

アメリカ「(これはどう考えてもカンボジアや、あいつらを変えなアカン)」

 

こうしてアメリカはクーデターを画策します。国王であるシアヌーク殿下がモスクワ訪問中、アメリカ寄りのロン・ルノ首相をたきつけてクーデターを実行。首都プノンペンをゲットしました。

 

アメリカ「やったでー!これでベトナムもボコボコや!」

 

しかしながら、シアヌーク殿下は国民からの支持が厚く、中国政府からの支援もあって、北京住まいしつつカンボジア奪取作戦を計画するのです。とはいっても遠方住まい、現地で実際に動く集団が必要でした。

そこで白羽の矢が立ってしまったのが共産党とそれを率いるポル・ポトです。

 

カンプチア民族統一戦線を名乗り、農民を中心に支持を伸ばしていく共産党。

そして1975年、ついに共産党がプノンペンを制圧しました。

 

普通制圧したら平和になるんですよ。戦う相手いなくなるんですから。

でも、ここでは違った。

 

ポル・ポトはこの解放戦線において農民こそ戦った誉高き者、真の国民(旧住民)。都市部のやつらは農村部から逃げてった奴、卑しい非国民(新住民)。こうして両者を二分して扱うことにしました。まぁ、解放戦線の支持母体は農村部だからそういう考えに至ったのかもしれませんが・・・都市部に住んでいた新住民の人たちはこの日から徹底的な弾圧を受けることになります。

 

ここからはポル・ポトのクレイジーラッシュです。

貨幣廃止!

学校廃止!

病院廃止!

 

ひとつめで社会が崩壊しそうですが、これに加えて有名なのが「知識人敵視政策」です。

これはもちろん本人に聞いたわけじゃないので定かではありませんが、妥当と思われる理由は「政権にケチつけてきそうな知識人になる前に抹殺してしまおう」ということらしいです。

 

字が書ける、これは粛清の対象です。

そんなの中学校でも出てれば大人と同じくらい読めるだろって思いませんか?

だから「中学校卒業してたら抹殺」

 

字は書けなくても、読むくらいだったらできる。

これも粛清の対象。本とか読まれて知識つけられると困るから。

 

メガネ、粛清の対象。

君、頭良さそうじゃない?粛清。

 

本当にこういうケチつけるくらいの理由で次々と抹殺が繰り返され続けるわけです。

この悪夢が終わったのがベトナム軍が侵略した1978年。ヤバ過ぎる内容に当時はベトナム軍がデマを流しているってことまで言われてたそうです。

 

ちなみに日本のこの時期は高度経済成長期から5年ほど。ディスコブームでOLたちはアフターといったら踊り狂ってた時期です。飛行機で5時間移動した場所では、こんなことが起きてたとは・・・

 

このポル・ポト政権の政策によりカンボジアの発展は数十年衰退したといわれています。

============================================================================

 

国境をバイクで通過するのはこれで二回目。一回目にはずいぶん緊張したが、二回目ともなるとわりとリラックスしていた。人々がにぎわう市場を尻目にバイクを押して国境に入る。笑顔でパスポートを渡す。

 

「カスタムへ行け」

 

ピクリとも笑わない男性がぶっきらぼうに答える。ヤバい、カスタムとか悪い噂しか聞いたことがない。ここでカンボジアから旅人のサポートに来ているという男性がカスタムに同行してくれた。何がかしらの説得の試みているようだが、全くわからないので書類だけ渡して、それが紛失しないかを見ているしかなかった。おばさんの説明はタイ語だったが、「出ていくときにこの書類をここに返せ」みたいなことは伝わってきた。お礼を言ってイミグレを目指す、簡単に書いているが実際は2、30分は待たされた。その間カンボジアからサポートに来た男性と世間話をする。この男性は提出の際はなんかしゃべっていたが提出した後はただ私としゃべっているだけだった。

 

そこを通過してから出国手続き。バイクのことを話すとタイ側の出口でどうやらもう一作業あるようだ。気温は決して低くない、うだるような暑さの中バイクのところまでいくと先ほどのカンボジアから旅人のサポートに来た男性が私のことを待っていた。

 

「チップくれ」

 

・・・ああ、そうだよなぁ。怪しいと思ってたんだ。

 

「え?俺のために何してくれた?」

これは純粋に気になった。マレーシアのキナバル山でマンディに教わった、働きぶりに疑問があるならチップを払う必要はない、と。

 

「さっき楽しくおしゃべりしただろ」

 

まじかよ・・・そこは嘘でもカスタムと交渉したとか言えよ・・・

「いや、楽しくはなかった」

すぱっと言ったね。

「嘘だ。笑ってた。あれは楽しかったからだ」

まぁ、そういう意図を知らずにいれば世間話くらい笑顔でするものなんだが・・・

で、チップはいくらなの?

「1000バーツ(3000円)」

 

・・・これは吹っ掛けるやり方だ。払うこともできない額をふっかけて次に自身の本当に希望する額を言う。すると安くなったような気がして払ってしまう、というやつだ。

「そうかー、1000バーツかー。そんなもらえたら俺もここで働こうかなー」

日本語でしゃべりながらバイクを押す。

「待て待て待て、チップを払え」

バイクの前に立ちふさがってハンドルを抑える。

わかった、俺の負けだ。払うよ、払う。

10バーツ(30円)を渡して「これで水でも飲め!」と部活の先輩みたいに言う。

不満顔で「もっと!」みたいなことを言っていたが「もっと金持ちの旅行者を探せ」の一点張りで通過。意思が固い人なら1円も払わないんだろうが、騒ぎになったら勝てないので私はちょっとだけ払っておきます。

 

そしてようやくタイ側を出る寸前、警備隊の隊員に呼び止められる。どうやら書類を書く必要があるらしい。そこからその書類を一緒に書いてくれる隊員が来るまで1時間、ひたすらパイプ椅子で待機させられた・・・

 

さっき渡したチップで自分の水を買うべきだった・・・己の愚かさを呪いながら国境を通過。ようやくカンボジアである。といってもタイを出ただけなのでまたカスタムとイミグレが・・・

 

イミグレは日本人が最も得意とするただ黙って順番を待つだけの作業だけだったのでなんともなしに通過。カスタムは・・・国境警備員に聞く。英語は通じないが、「行ってよし!」という素振りだった。バイクはカスタムに行かなくていいらしい。ラッキー!

 

ヘルメットをかぶり、エンジンをかけようとすると長身の男が話しかけてきた。

「お前!カスタムへは行ったか!?」

怒っている、何かまずかったのか。まくし立てて喋る。ところどころ聞き取れないが英語だ。

 

「プノンペンからの許可証を見せろ!」

これは痛いところである。カンボジアをカンボジア以外の国の車輌で走る場合、首都プノンペンで許可を得てからでないといけない。これが正式なカンボジア国内を国外車輌で走るルールだ。しかしながら、そんなこと海外ツーリングをしているメンバーからは聞いていない。おそらくその決まりも形骸化していて、隣接するタイの街から来た人間は皆スルーしている。

 

「俺の名前はリー・ソンバットだ。これからお前にはカスタムに一緒に来てもらう」

国境警備員は知らぬ存ぜぬ顔でまるでこちらに気を留めていない。この男が本当にカスタム関係の人間なのか怪しいので三回くらい聞き直したが苛立ちながらついて来いと答えるだけだった。

 

距離を空けて歩く、幸いにしてカスタムは大通りに面した大きな建物だった。かなり怪しいがカスタムの奥の小さな部屋に入っていく。そこには三人ほどの職員がいた。

 

「バイクの書類を出せ、早くしろ!」

こいつは信用できない。自分で書類を一枚ずつ職員に見せる。

職員たちは何か言いながら首を振るのみだった。

「タイのカスタムでちゃんとした手続きを行っている、カンボジアの国内を走りたい」

そう英語で言っても、彼らは困った顔をするだけでカンボジアの言葉を返してくる。

全然わかんねぇ・・・

 

その問答を見ていたリーが私の肩をたたいて屋外に出るように言ってきた。

「いいか?お前はこのままだとカンボジアを走れない。でも、俺がサポートする。俺は英語もタイ語もカンボジア語も話せるから、お前の代わりに交渉してやる」

お前のどこが信用できるんや・・・

「いや、いいわ。警察にはワイロ渡せば通れるって聞いたし。それじゃ」

男が立ちふさがる。

「ここはカンボジアでお前の知らないことばっかりだ。ほかの国とは違うんだ。」

へぇ・・・そうなんだ。

 

「で、どんな役に立つの?」

「警官は国外のバイクを見つけるととにかく止めてくる。その時は電話を掛けろ、そうすれば俺が話してやる」

「で、いくらなの?」

「4000バーツ(12000円)」

!!!!!!!!!!!??????????

 

ありえない額である。

八畳一室できたてのコテージに一人で泊まって700バーツの世界なのだ。いくらなんでも高すぎる。

「払えない。そんな金はない」

「金なら銀行にあるだろう、おろして来い。そうしないとカンボジア旅行はできない」

「払えない(略

 

この繰り返しのあと、値下げ交渉をしたら

「わかった、3000バーツだ」というところまで来た。

 

 

「値引きできるってことは正規の値段じゃないな。お前は信用できない、払わないぞ。」

強く言ってバイクのところまで肩を怒らせて戻る。

 

 

バイクのエンジンをかけるとリーはバイクの前に立ちふさがって国境警備員と話をしている。

国境警備員の表情が曇っていき、何やらこちらを注意してくる。

確証はないが「エンジンを止めろ」ということのようだ。

 

「いいか、国境警備員はお前がここからカンボジアに入るのを許さないといっている。ほかの日に来ても同じことだぞ。」

 

やられた・・・国境警備員とこの男がグルかはさておいて、現地語が話せる人間とケンカになったら勝てる可能性はない。いくら嘘八百を語られようと、言い返すことができないからだ。論理の矛盾を突きようがない。

 

観念してついてく、カスタム前の屋台(電話屋)でSIMカードを渡される。

着信履歴を残されて、困ったらここに掛けろ、と言われる。余談ですが、このカンボジアSIMが旅行中におかしくなってケータイを初期化したのでLINEを新規登録する羽目になりましたね。

結局3000バーツからは値切れず。注意事項等を聞かされる。

 

「いいか、もし警官に止められたら何も言わずに俺に電話を掛けろ」

「この契約のことをほかのやつにいうんじゃないぞ、俺と同じ服を着ている奴にもだぞ。絶対だ」

「帰る一日前に電話をかけろ、SIMカードを受け取る」

 

契約を誰にも言うなってアコギなことやっとるやんけ・・・

そもそもこの話を聞かされたのが大通りに面してはいるものの露店のかげに隠れる場所でこそこそやりとりしてました。

 

熱中症ですでに若干ふらついていたのもあって何も言い返さず、出発。

あー、3000バーツが・・・

 

そこから30メートルくらい行ったところでバイクを停めてコーラを飲む。うむ、ちょっと元気になったぞ。

あ、そういえばこのSIMいくらくらいなんだろう。素朴な疑問なので道を戻る。リーは次のターゲットを見つけたらしく何やらバックパッカーと交渉をしている。近くにオフロードバイクもきっと彼のものだろう。割って入ろうかとも思ったが、気づいたら三時に近い、余裕はないな。何時間国境付近にいたんだ・・・。結局無視して電話屋のねーちゃんにSIMの値段を聞く。

 

「250バーツ(700円)」

 

ここでアドレナリンのエンジンがかかりましたね。飲んだのがコーラじゃなくてレッドブルならもうちょっと戦えたかもしれない。

 

リーと彼の客に横付けする。

「SIMカードめちゃくちゃ安いじゃねーか。そのへたくそな英語で2000バーツかかるはずがねえだろ!」

交渉中の人間に触れさせてはまずいと思ったのか、少し離れたところに誘導してくるがこっちは関係ない。

「金がないんだ。今日ホテルに泊まれない、さっさと金返せ」

「それはお前の問題だ。俺には関係ない。俺の仕事はお前が警察に捕まった時に交渉することだ。」

 

「金返せ!」

「俺は忙しいんだ、早く行け!」

 

ここの近くには警察も国境警備員もいない。こういうのは金を払った時点ですでに返ってこない。だからそもそも払ってはいけないのだ。わかっていても怒りとはまた別問題である。

 

「てめー!上司にお前のやっていることを報告するぞ!」

 

これはSIMカードをもらったときの禁則事項である。

途端にリーが弱くなる。

「俺には家族がいるんだ。仕事を首になっちまう、やめてくれ」

 

ここではじめてこいつのPleaseって単語を聞いた。なんかちょっと勝てる気がしてきた。

「それは俺の問題じゃない。あんたの言う通りちゃんとした料金なら領収書が出るはずだ、今すぐ出すんだ」

 

こういうやりとりをしていると寄ってこなくとも周囲の目が集まってくる。

ここで粋がっていた私も気づきましたね。

「こいつの仲間が複数いたらヤバい」という事実。

 

リーは「早く行けよ!俺は忙しいんだ!」しかすでに言わない。

・・・潜在的なリスクに気づいたら急に意気消沈してしまう。まぁ、元から気が強いほうじゃないしな。

 

せめてこのトラップを目の前にいる中国人ライダーに伝えたい。

彼の目を見て、あったことを伝える。

リーが慌ててそれを遮る。

 

そのとき、中国人ライダーは

 

唖然としてましたね。

 

まぁ、そりゃそうだよね。「え?この状況何?」って感じ?

そんで英語も伝わってなかったみたいなので・・・

 

「英語くらいわかれよ!」って怒りで叫びましたからね。日本語で(笑)

もうこのときは怒りと不安で綯交ぜでした。

 

 

 

結局、お金は戻ってこず、「仲間がいるかも」という恐怖にかられながらバイクに乗る。

そのとき、リーは勝ちを確信したようで「これ以上ここにいるなら警察を呼ぶぞ!」と息巻いてました。

 

「そん時はお前に電話してやるよ!交渉するのがお前の仕事だろ!」って返せたらよかったんですが、そんなかっこよくはいかず、無言でその場を後にしました。

 

今は国内でぬくぬくと生活している中で書いてるのもあって、冷静にいろんな可能性や対応を考えられますが、実際に起こった時の瞬発力ってのは長所も短所もすごく顕著に出るなぁと思います。お金とか言葉とかより海外で旅するならそういうところを鍛えるほうがひょっとしたら有用かもしれないなぁ。

 

結局この国境を越えるだけの作業で莫大な時間とお金を失ってしまったのです。まぁ、完全に自分の至らなさですが。

 

あ、写真全くないのでこの辺にテキトーに貼ります。

 

カンボジアの道。土が均されているだけ。車が通るたびに土煙に巻かれる。

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これもカンボジアの道。タイでも赤土の道はありましたが、地図で乗ってるわりと大きな道路もずっとこういう感じ。国力は道に出るとしみじみ感じました。

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東南アジア最大の湖、トレンサップ湖に映る夕日。漁船も観光船もみんな同じ港から出港する。

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ここまでしたのはすべて世界遺産のシェムリアップに行ってみたかったからです。

そんな世界遺産に次の日記で到着します。

ぜひ見てください。

 

それでは!

 

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たくさんの好意でバイク復活!バンコクを経由してカンボジアを目指す

みなさん、こんにちは。久しぶりにマンガ喫茶に泊まった宮下です。

 

タイでお世話になった高橋さんが日本からまたタイへ戻るということで、羽田空港で送迎会をした帰りです。いやー、楽しかった!

 

読者のみなさんには日記を読んでもらって非常に嬉しいんですが、

その中で顔を合わせて会う人にはもっぱら日記の評判が

「長すぎて読むのが嫌になる」

というわかっていたもののショッキングな感想をもらいます。

いや、言い方はそんな辛辣じゃなくて「書くほうだって大変でしょ」って気を遣ってくれるんですが・・・

 

自分の所感を残すという意味で始めたブログですが、読んでもらえるととても嬉しいので完全に旅のモチベーションになります。だから読んでもらう人にも楽しんでもらえたらと思うんですが、たしかに読み返すと結構時間食ってたりするんですよね・・・

 

ちょっとやり方を考えるのでもうしばらく今のやり方に付き合ってもらえたらうれしいです。

よろしくお願いします^^

 

日記の続き———————

事故の翌日、預けたバイクを取りに行かなくてはならない。

昨日はSuaidがバイク屋からホテルまで町を右往左往して連れてきてくれた。

 

本当はタクシーを捕まえればすぐに戻れるんだけど手持ちのお金が本当に心もとない。

旅の資金がピンチというわけではなく、マレーシアでは私の持っていた国際キャッシュカードが空港に設置された一部ATMでしか使用できなかった経験から、むやみやたらに手持ちの現金を使うのは避ける必要があった。

 

というわけで、まったく見知らぬ町をカンで歩いて移動。

昨日、私の事情を察してくれ、良くしてくれた薬局にお礼を言いに行ったが、お客さんでごった返していたため断念(これは並んででもお礼を言っておけばよかった、言わなかったことが後悔になってしまった)。

 

しばらく歩くとSquaidが乗せて走ってくれた大通りに運よく出ることができた、この通りに沿って歩けばバイク屋まで辿りつけるだろう。

 

 

とはいえ、歩くたびに昨日負ったケガがズキズキと痛む。

 

傷口からは体液が絶えず滲んできて服に染み込む。その中には血小板ももちろん含まれているので服と一緒に皮膚にくっつき、歩くたびにくっついた服が小さくびりびりと剥がれて新鮮な痛みを追加してくる。

 

傷が痛むたびに「いやいや、金のほうが実際問題ヤバいだろ」とも考える。それもまた次の痛みで霧散して、その痛みを忘れるように増やすことができない財布の中身をまた心配する。

 

たぶんこの時は相当ひどい顔をしていたと思う。

 

この旅で強く感じることだが旅で本当に大切なのは語学力ではなくて「笑顔」だと切に思う。

相手から見てひとりで旅する旅行者は圧倒的に不審者ではないだろうか。サービスだって金を支払うやり取りがあるから成立するだけで、何か温情に預かりたいなら無愛想はもちろん、あやしいのはご法度だ。

 

道を聞いた通行人の何人かに冷たい対応をされるまでそれを完全に忘れていた。

そう、明らかにヤバい奴だ。乾燥させるため負った傷をほぼ露出させ、体温とほぼ同じ気温の中を物心ついた子供ほどの大きさの荷物を二つも持って、汗ダラダラで陰湿な顔をしながら歩いている。私が相手の立場だったら正直絶対に関わりたくない。

 

ピンチの時にはピンチな風にしてはいけない。まぁ、旅じゃなくて色々なところで感じるんだけどね。唇を両手の人差し指で広げて口角を物理的に上げる、次のお店は笑顔で道を聞こう。

 

そうして尋ねた小さな商店で、店番をしていた母親と娘は笑顔で対応してくれた。

顔の筋肉数個でこんなにも対応が違う。

一緒に話し込んでいたお客さんも巻き込んで話は弾み、バイク屋のおそらく正確な位置が判明した。

 

「ここから歩いて1時間かからないくらいだよ!」

 

ガーーーーン!

 

昨日は必死になっていたため、バイク屋からホテル探しはあっという間に時間が過ぎていたが、思ったよりも移動していたらしい。押していうがタクシーに乗る金はない。

 

いや、歩くしかねえか。冷静に考えれば表面がちょっとやられただけで歩くのに問題ないしな・・・

店の人たちはバスも勧めてくれたが、体温ほどもある気温の中、日向でいつ来るかわからないバスを待つのもきつい。それだったら歩いたほうが気が楽だ。

 

そんな話をしているときに、新しい人物が会話に入ってきた。

Kohrという男性である。

 

事情を話すと、そのバイク屋は知り合いらしく、車で送って行ってくれるということになった。

え?神様とかですか?IMGP7747

 

中華系マレーシア人でオンラインショップを経営しているそう、奥さんとお子さん、そして自身のお母さんのの四人で暮らしているという。感謝の言葉もそこそこに世間話に花を咲かせているとバイク屋についた。感謝です!

 

結論からいうとバイクは一応直った。二面を合わせてエンジンをカバーしているケースの片方にひびが入り(もちろん金属製)、そこにコーキング剤をつっこんでエンジンオイルの出血を止めてくれたらしい。完全には直っていないと注意は受けたが、それでも乗れるようになったのは本当に嬉しい。多くの人の助力で活路が開けた、といえば一言だけど助けてくれたひとりひとりのことは絶対に忘れない。ちなみに修理代金はびっくりするほど安く、タイに戻るまでもう一、二泊しても余裕ができるくらいのお金が手元に残った。

 

そのあとはKohrに連れられて飯屋に行った。彼は「宗教はなんだ?」と聞いてきて少しびっくりしたが、仏教だと答えると「自分もそうだ」と言っていた。イスラム教徒だと食べれないレストランもあるので気を遣ってくれたのだろう。ちなみに彼いわく本当の仏教とはベジタリアンなんだ、といって野菜オンリーのお店だった。ここでも彼の好意で私の財布は一切痩せることがなかった。

 

レストランで食事をすると「タイに戻る高速道路へのインターへ案内するよ、その前に家に忘れ物があるから取りに行こう。母親もいるし中国の新節(旧正月)だからお年玉をくれるかもしれない」

 

ヤバい、なんだこの優しさは。めちゃくちゃ優しい。そしてそれにホイホイついていく自分にも危機感を改めて感じた。

 

彼の自宅に着くとお母さんが笑顔で迎えてくれたものの、その顔を見るまでにかなり頑丈なゲートを二回開けた。そうだ、ここは海外だ。親切なのはありがたいが、気を緩めすぎないようにしなければ。この心配はここにおいては全くの杞憂で、めちゃくちゃおいしい緑茶や謎のお菓子をたくさん頂いた。しかも本当にお年玉をもらった、なんということか。

 

彼が自宅に忘れていたのはパスポートですでに三冊目だという、オンラインショップの経営はすべてパソコンで処理ができるのでちょくちょくインドネシアのゲストハウスで作業するらしい。オフィスを自由にできる気楽さやこれからの展望ありきで、旅を終えたらパソコンの勉強をするように言われた。

 

一通りくつろいでから、彼の自宅を後にする。お母さんは視界から消えるまで手を振ってくれていた、息子の友人として迎えてくれたんだろうな、きっと。国を超えても母親らしさみたいなのは変わらないんじゃないかと感じた。そして高速のインター手前で彼の車の横につけ、感謝と別れの挨拶をする。

 

Take care(気を付けてね)というと、それはお前だよ!と返された。You are rightとしか返しようがない。

 

そこからは慎重に慎重を重ねてタイを目指す。三十分進むごとにエンジンを切り、オイル漏れがないか確認した。エンジンが発熱して膨張すれば、亀裂が拡大して再びオイルが漏れるかもしれない。そういった懸念もあって速度も出さなかったので時間はかかったものの、無事にマレーシア-タイの国境を通過。タイ南部の都市ハージャイの街まで無事に戻ることができた。

 

さて、タイに戻ってきた。東南アジア巡りは当初の予定だとシンガポールを除き、カンボジアとラオスに行くつもりだった。しかしながら、事故によるトラブル、思いのほか楽しくてめちゃくちゃ後ろにズレたタイツーリング。この後、何をするにもすでに走った道については時間も距離も短く済ませたいところではある。

 

そこで電車移動ですよ!!

 

これは偉大なる先人、ぽこけんさん夫妻こと荒木さんご夫妻が実績を持つ「バイクごと電車でバンコクまで戻る」という超便利手段を利用させていただくほかない。バンコクからハージャイまで自走で2週間近くかけてしまったが、これを使えばわずか1日で済んでしまうという・・・

 

ここは電車が出ているハージャイの駅。国王陛下夫妻の写真が大きく掲げられているのを見るとタイに戻ってきたんだと実感する。

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実はタイに戻ってからこの駅に来るまでに二日ほど高熱にうなされ、マラリアかどうか大きな病院に検査に行った。東南アジアでは簡易検査キットが薬局で売っているという情報をネットで見たのだが、薬剤師さん曰く、タイでは全国的に病院での血液検査しかしていないという。結果はFar from marariaと言われたが、今考えると事故で負ったケガによる外傷性の発熱だったかもしれない。主だった感染症のワクチンは打っていたものの、今思えば博打に近い判断だった。これは反省しなければならない。連泊した宿のお姉さんにマラリアの検査キットを買いたいから薬局を教えてくれと言ったら英語が一切通じず、事故のケガのことだと思ったのか包帯とかを買ってきてくれた。本当にありがとう、お金も全然受け取ってくれなかった。

 

おっと、電車の話でした。心はすでに電車を利用することに決めていた。寝てる間に進むってのはデカいよね、信号もないし。さっそくハージャイの駅に行ってバイクを持ち込み、チケットを購入。案外人気らしくて一番安い座席しか売ってもらえなかった。昼過ぎに出るので駅の構内で時間を過ごす。

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駅構内。タイの南側の都市なのでイスラム教徒の人がいっぱい。(タイの南に位置するマレーシアの国教はイスラム教)

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以前、荒木夫妻が利用した時に、自分たちとバイクは違う電車だったという。バンコクについてから三時間ほど待たされ、次の電車でバイクが到着したらしいことをブログを拝見して知っていた。後発の貨物でしかバイクを運ばないなら仕方ないが、すでに一か月以上を東南アジアで過ごしてきた私は確信していましたね。

 

「貨物のみ、乗客のみなんて面倒なことは絶対しない。テキトーに荷物乗せたせいで次ので届いただけだろう」と。

 

バイクを所定の位置に停めると、近くで作業員を待つ。ラベルを貼りに来た青年を捕まえてチケットを見せ「これと同じ電車にこのバイクを頼む!」とプッシュ、もちろん笑顔で。青年も笑顔で「オーケー!オーケー!」と答えてくれる。よしよし、頼んだぞ!

 

そうして重要なミッションを終え、ゆうゆうと電車に乗り込む。指定席制だが、そこらじゅうが空いているので相席になった人はすぐにほかのところへ行ってしまった。ここからほぼ一日、電車に揺られてバンコクを目指す。

 

駅を出る直前。照り返す隣の電車の鮮やかな壁面に自身が乗る電車が映る。

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もちろんエアコンはない。ジョイスティックのように扇風機がぐるぐるとまわっている。

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窓際から見た工事現場。ここだけ見せられて「日本だよ」と言われれば、とても怪しく感じると思う。違いはなんなんだろう。

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夕日に向かって走る電車。真っ暗になってしまえばやることもなく眠るだけである。運んでもらう間は色々な思いを馳せることができる、長旅にはこういう時間が必要かもしれない。

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日も落ちると外を見る楽しみは一切ない。町の明かりなんて本当にまばらだし、森林地帯を抜けているのか本当に真っ暗である。たまに止まる駅では売り子が窓の外から食べ物を勧めてくるが、鳥肉とコーラくらいしか買いたいものはなかった。

 

そそくさと眠りにつこうとする。この日は駅まで行って電車に乗り込んだだけなのだが、それでも疲れた。思う以上に多くの情報を扱っているんだろう。幸い、謎の発熱は収まったのであとは夢の世界に旅立つだけなのだが・・・

 

寒い。めちゃくちゃ寒い。

 

いくらタイが南国だって夜は少しばかり気温が下がる。それに私はこっちの気温に慣れてしまった、日本は2月という厳冬期でも体温に近い気温の毎日だったマレーシアから戻ってきた私には眠気が吹っ飛ぶほど十分寒かった。

 

窓を閉めも、隙間からぴゅーぴゅーと風が入ってくる。それにほかの乗客が窓を閉めない。なんで!?と思うが、みんな開けたまま、ブランケットをかぶって丸くなっている。なぜ頑なに閉めないのか・・・

 

そして次の日。

 

結局全然眠れなかった。新しい風邪をひくかと思ったが、この夜のダメージを差し引いても若干体力が残ったらしい。日が昇って明るくなると汚い建物が目立つようになってきた。都市部が近くなっているのを実感する。

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ここから徐々に暖かくなって仮眠。少しでも寝れてよかった。

 

そんで、つきました。バンコク駅。19世紀のイギリスで見そうな感じの建物でした、なんとなくだけど。

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電車から降りて積み荷を待つ。次々に下される荷物の中にバイクがあった。やったぜ!

ただ問題があった。

下されたバイクは私のじゃない。なんでなんだぜ!

 

え?マジでなんなの?

 

聞いて回ったら次の電車で来るらしい。つまり三時間後・・・

 

あんなに言ったのに!

とかイライラしてはいけない。イライラしたら負けだ、良くも悪くもここは東南アジアだ。

 

ここまで来ると地べたに座るとかには全く抵抗ないよね、空気を吸うのと同じくらい自然に座り込みます。さすがに横になったりはしませんが、胡坐をかいて体育館みたいな天井をぼーっと眺めて時間を過ごす。たまに来る電車に一縷の望みをかけて調べるも、ハージャイ発でないとやっぱり可能性はないとのこと。そりゃそうか・・・ハージャイと同じ線路でつながってんだもんな、ほかの電車にのせかえる理由がない・・・荷受けのおじさんに何回も聞いたら後半は答えずに首を横に振るだけになってしまった。

 

きれいな電車ももちろん多いが、そうでない電車も止まる。日本でいうと東京駅だからね、いろんなところから来るんだろうが・・・昔庭で失くしたブリキのおもちゃを半年ぶりに見つけたような色合いである(←失礼)。

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きっちり三時間待った。待ちに待ってようやくバイクが来た。

荷受けのおじさんはこの三時間の間に何回も私にプッシュされているので到着を一緒に喜んでくれた。

 

「よかったな!ちゃんと来たぞ!」

 

謝罪はない。たぶん純粋に申し訳ないと思っていない。もちろんそこに悪意はない。

万事が万事、こういった感じで進められているのだ。そういう空気感がこちらの常識なんだと感じる。

その一種のゆるさが東南アジアの良さでもあり悪さでもある。それよりも注目すべきはこの言葉である。

 

「ちゃんと来たぞ」

 

え?来ない可能性あったの?

私は恐怖しましたね、この言葉に。

まぁ、私もずいぶん疑っているようなそぶりだったのかも、それに対して「どうだ?言った通り来ただろう」といったところかもしれないんですけどね。

 

結局バイクに乗って走り出したのは三時すぎだったと思う。ここまではひたすら北上してきたが、ここからは東に進路をとってカンボジアを目指すことにした。シェムリアップのアンコールワット見たさである。

 

走り出してしばらくしないうちに昨日電車から見た色に空が変わっていく。

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バスケットのゴールに入るがごとくちょうどいい木と夕日が重なる場所で休憩。旅はいつも忙しいが、とにかくキナバル山から色々なことがありすぎ。どこかで休みを設けないとなぁ。

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この日は道すがらテキトーな宿に泊まった。

 

あくる日、またもやカンボジアを目指す。

すでにもう都市部からは遠く、農地なのか手つかずなのか判断しかねる様相の景色が続く。

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こういうトラックがたくさん走っている。こいつの後ろは植物の破片がぱらぱらと舞ってとにかく走りにくい。すぐに抜いてしまいたいがデカすぎて前が見えないので抜くのはそれなりに度胸がいる。

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抜くときは決まって対向車線側、真ん中寄りだ。左側通行なら追い越しは当然右からなのだが、日本のようにキッカリ中央線が書いてあるわけではないし、車が左右均等の間隔を空けて走っているわけではない。左側が空いている、という安易な理由で左から追い越しをするのは、この画像のような場所がそこかしこに点在することを論拠としておススメしない。

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そして見えてきたボーダー。最初のタイ-マレーシアのボーダーまで行くのは大分時間がかかったが、カンボジアまではわりとあっさりである。とはいえ、夕方も近い時間だったので今日はここまでにして明日の突破を目指す。久しぶりに食ったマックの体に悪い味が最高にうまかった。

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次回はカンボジア入国とシェムリアップ到着くらいまで書けそうかな?

読んでくれてありがとう^^

 

それでは!

 

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2 Comments AsiaSoutheast Asia

タイへの帰り道とクラッシュ

みなさん、こんにちは。ちゃんと生きてます、宮下です。

 

一説には死亡説まで流れていた「道ヲ旅スル」でしたが、ギリギリちゃんと生きてましたね。

更新しない中でもサイトを除いてくださった方たちには本当に感謝です。私が年始に授かった大吉をお譲りしたい気分です。

 

何やってたのかというとさりげなく桜を追いかけて奈良まで行ったり、新緑を追って福島まで走ったりしてました。

 

そんで最近気づいたのが「そろそろ動き出さないと次の旅に間に合わない」ってこと・・・

次の旅ってのはヨーロッパ方面をバイクで走るってことなんですけど、その準備が本当にいろいろあって・・・・

余裕ぶっこいてたら危うくなってきましたが。それで今てんやわんや、と・・・

 

次の出発についてもいろいろ書きたいんだけどまずはアジア編を終わらせないと・・・

マレーシアのキナバル山から降りてきたところでしたね・・・・この後割と経たずに事故ったんですよ(爆)

とりあえず続きを書いていきます。

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感動のキナバル山に登頂したものの、下山後すぐにホテルでオーナーと揉め、そのままキナバルの街まで運よく帰ってくることができた次の日。

 

一晩早い便で街まで戻ったことで、本当に帰るフライトまで余裕ができたのでビーチが美しいという島の東部を目指すことにする。ゲストハウスで出会った日本人の女性が前日行ってきたというので間違いはないだろう。

さっそく近くの駅に向かうと、ミニバスの運転手にもみくちゃにされる。ミニバスは人数がそろったら出発!という方法なのでそれっぽい観光客がいると、獲物に群がるハイエナのように群がってくる。正直、こっちは誰でもいいので地名だけしゃべっていると運転手の一人に手を引かれバスまで連れていかれる。こういうちょっと強引なやつのほうが結果的に出発が早いので文句も言わず料金を支払ってミニバスに乗り込む。あとで女性ばかり4人が乗り込んでくるらしいことを運転手はニヤニヤしながら言った。

 

時々女性が車のそばを通りすぎる。マレーシアの女性は宗教的な理由で「トゥドゥン」(tudung)というスカーフのようなものを巻いているのだが、あれは暑くないんだろうか。窓が全開とはいえ体温近い気温の車中で私はすでにグロッキーな状態なので、他人のことを心配して気を紛らわす。そこから20分は経っただろうか、運転手は別のミニバスを指さして「あれに乗れ」みたいなことを言っている。どうやら女性陣の話は嘘だったらしい。

 

新しいミニバスはすでに満員で私が乗るとすぐに出発した。こちらはエアコンが効いていて割と快適である。ミニバスで隣になったFaizという青年と友達になった。これから向かう島の東部からさらにフェリーに乗って向かう離島の教師をしているらしい。同世代で気さくに話をしてくれる。マレーシアは年中暑いのだが勤務地は水が出たり出なかったりするところで今の仕事にやりがいは感じるが、正直やめたいとも話していた。ちなみに名前はムハンマドでみんなほぼ同じ名前らしい。びびるくらいの好青年だった。

 

彼と話しながらも車は周りが林しか見えないマレーシアの田舎道をひたすら走る。途中、東南アジアらしい商店が連なる一角で休憩を取ったりもした。商品が吊られて売られていたが暑さを避けるためなのかネズミによる被害を防ぐためなのかはわからなかった。

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そんなこんなで二時間半ほどかかってバス停に到着。Faizは気を効かせてホテルを何件か紹介してくれたあと、勤務地に向かうフェリーへ足早に向かっていった。急いでいたのにありがとう。

 

英語が全く通じないホテルになんとかチェックインし、さっそく件のビーチを探す。ちょっとワルそうなお兄ちゃん(英語が通じる)にビーチを聞くとめんどくさそうに名前と場所を教えてくれた。ここでセカンドオピニオンを取るべきだったのだが、ここに来るまでずいぶんいい人ばかりと接していたため、それを鵜呑みに行動してしまった。1時間ほど歩いたあと、教えてもらったのがビーチの名前ではなくリゾートホテルの名前だということが判明、気温は35度である。

 

あああああああ!!もうビーチなんてどうでもいい!!

という気持ちで海辺の店でコーラを飲む。なんか店に置いてあるテーブルや椅子の配色が昭和っぽい。

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おっさんと子供たちという不思議な組み合わせの連中がキャイキャイ言いながら遊んでいるのを細い目で見る。この気温でよくあんな元気に活動できるな・・・おっさんが近くに座り、挨拶をして話をしてみると20歳ということが判明、すまぬ。ビーチが見つからないと愚痴っているとそのビーチまでは車で40分もかかることがわかった。

 

そういえば宿で話してくれた女性は現地のガイドが休日を使って自家用車で案内してくれた、と言っていた。僕は正直美人ってズルいと思いましたね。

 

せっかく二時間もかけて来たのもあるのでこの青年を雇って現地に行けないか交渉。結果、この青年は無理だが、彼のおじさんがホテルの非番でそれなりのお礼を用意するなら連れて行ってくれるということになった。値段を聞けばタクシーよりははるかに安い、お世話になることにした。

 

彼の名前はゴージュ(ゴーデュ?)さん。彼はクアラルンプール市内の大学に通う息子を持つ、ホテルのマネージャーらしい。仕事もあってか、訛りが強いものの英語は通じるらしい。こっちがしゃべる英語もだいぶ適当なので意思の疎通がある程度でも取れるのはうれしい。

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早速、彼の車で出発しようとしたが、ガソリンスタンドに駐車したらエンジンがかからなくなった。乗り込んだ時から嫌な感じはしたが、そうとう年代物の車らしい。車内にキュルルルルル!という音が空しく響く。

しばらくすると「やっちゃったぜ!」みたいな顔でこちらを見る。

 

「タカ!後ろから車を押すんだ!」

 

こういうことをいい笑顔で言ってくる。そう、ここは日本じゃない。謝罪とかそういうのは全くない。

困ったらお互いさまなのだ。それにずいぶん助けられてここまで来た。

 

10mほど押すとキュルルルルルがドゥルン!に変わり、車が自走しはじめた(※軽自動車です)。

一瞬置いて行かれるかと思ったがそんなオチはなく、しっかりとシートベルトを締めるのを確認してから発進してくれた。

 

ビーチまでの道は舗装の状態が悪いだけでなく無数の野犬が闊歩していた。タイも含めて今まで走ってきたどの道よりも野犬が多く、歩きや自転車で通過するのは危険でとても無理だとゴージュは言っていた。ここで車が停まったら私が外に出て押さなければならなかったので心の中でひたすら軽自動車を応援した。

 

ビーチに着くころには、太陽が黄色がかっていてもう少しで夕方になろうかというところだった。ゴージュが案内してくれたのは入り江が見える展望台で、宿であった女性客から聞いた場所と違ったが、周りに多数の人がいたことからもここが有名なスポットであることは明白だった。

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ビーチ自体は人がいないわけではないものの散歩している数人が見受けられるだけだった。波は穏やかだったが時間も時間だったので閑散としていたのかもしれない。砂浜には珍しい岩山があって、夕日をまぶしく反射していた。近くで見たら、けっこうな迫力かもしれない。

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展望台を少し降りて海に近づく。聞いていた白いビーチにはたどり着かなかったもののここでしか見れない景色もあるんだろう、と思い景色を眺める。空のグラデーションって不思議だよなぁ。

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似たような場所でもレンズを変えると画が全然違う。今日もまた一日が終わってしまうな。

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最後、林の中から沈む夕日。この旅であと何回夕日を見れるのだろうか。センチメンタルな気分だけじゃなくエコノミックな観点からもちょっとずつ気になり始めた。

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帰りは幸いにして軽自動車のエンジンがキーを数回回すだけでかかったので、笑顔ホクホクでドライブ。ホテルの前につけてもらいゴージュにお礼を言う。

 

「タカ、良い旅を」

ゴージュのかっこいい決め台詞のあとにちゃんとエンジンがかかって結構安心した。このセリフのあとに軽自動車を押したくなかったためだ。

 

翌日は五日間いたボルネオ島(コタキナバル島)を離れ、バイクの置いてあるクアラルンプールに戻った。ビックリするほどスムーズで特筆すべきこともないので割愛。たった五日だけだったがバイク(というか自家用車)のない旅は不便さを強く感じた。っていうか、バイクが便利すぎるだけなんだが・・・いい意味でバイクから離れることができた数日間だった。

 

シンガポールへ行っている時間はないのでクアラルンプールを出て再びタイを目指す。来た道を戻るというのもつまらないので本島の東部を廻って北上することにした。

 

久しぶりのバイクにテンションが上がって無駄なものも撮ってしまう。これは途中で見つけた名前も知らない川。テレビで見たナイル川みたいな色をしていた。大陸特有の茶褐色の土が混じるとこういう色になるんだろうか・・

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高地を走っているときには遠望に巨大な岩山を見た。書店に行けば「世界の絶景」という本をゴマンと見るが、それでも語りつくせないほどの絶景が世界にはたくさんある。旅をする意義はそこかしこに転がっていいる。

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途中イスラム教徒っぽい青年に声をかけられた。バイクで走行中にである。最初は荷物が落ちかけているとかそんな理由かと思って近くに停車すると彼もバイクを路肩に寄せた。

 

普段なら身構えるが、そんなことも考えさせないくらい柔和な人物である。

 

英語じゃない言葉(たぶんマレーシア語)ですさまじく丁寧に話しかけてくる。

人生初の感覚だが、たぶん間違いない。

 

 

俺、今崇(あが)められてる。

 

たぶん勘違いとかじゃない。だって、正面から祈ってくるし。

 

聞いたことがある、旅人に神様が宿ると信じる教えがあるらしい。

たぶんソレや・・・

 

彼は荷物の中からグレープフルーツを取り出すと手渡してくる。

いやいや、もらえないって!うがった言い方をすればいらないって!

 

それでもめちゃくちゃ強引に持たせてくるので受け取ることにした。

そのあとまたこの表情である。

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呪文というかお経というか、そういったものを一通り唱えたあと彼は不思議な祈りのポーズをして去っていった。

 

この出来事だけで海外に来てよかった。私は本や見分で見知った知識ではなく、実体験として体感しましたね。

 

思想の違う人間がいる、ということを。

 

それは自分が生活する範疇で思いもよらない悪行がどうとかいうことではなく、自身が信じる善の世界で全く違う価値観があるという事実。衝撃だったよね、全く知らない人に感謝や尊敬のこもった気持ちをあれほど正面から出せる人間がいるということ。いたく感動しました。感動を通り越して衝撃を受けました。

 

あ、あとどうでもいいけど俺グレープフルーツ嫌いなんだよね。

 

そんなことを考えながらバイクを走らせるとどうも道がおかしい。渡り終えてから全景を見るとどうやら氾濫した川に橋が流されてしまったようだった。

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本来の道から見た景色。高さもそれなりにあって下をのぞき込むとスリルがあった。仮設の道路がしっかりしていて走行に心配はないが、また大雨が降ったらそれも使えなくなりそうだ。

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そういう出来事もあって、さきほどの敬虔な信者の人はお祈りをしていたのかな?とも思う。強度の高い衝撃を受けると、起こることすべてをそれに関連付けてしまうな。

 

それでも道は続いていく。再び高地に出たときには遠方に見慣れぬ色の土肌をした山がいくつも広がっていた。

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何も絶景は遠方だけではない。走っていたらひたすら視界に広がるプランテーションの道もここでしか見ることができない絶景だ。なんとなく普段見ている景色もそこを訪れることが少ない人間にとってはとても貴重な絶景かもしれない。

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時折抜ける山間部から見える景色は立体感がある。あの山も名前があって、その頂上から息をのむような景色を見た人がいるんだろうな。

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そして夕日が落ちてきたころだった。クアラルンプールを出てからの一日の出来事みたいな書き方をしているが実際は二日三日かかってここまで来ている。もうじきバタワースの街に到着できそうだ。

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バタワースに着けばこういった景色は見られない。タイに戻るまではよく舗装された近代的な快走路を行くことになる。名残惜しいような、やっとここまで来たような、そんな気分で道を進む。

 

バタワース近郊になると進んでいた道は高速道路に接続していた。マレーシアの高速道路はバイクが無料なので気兼ねなく乗る。以前、日記にも乗せたが料金所を迂回する形のバイク専用レーンが存在する。

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この迂回路は経験上、料金所の付近にしかないものと思っていたが、この日走っていた場所ではこの迂回路が延々と続く。正確に言うと、バイク専用レーンだけが車道と切り離された状態でひたすら並走していた。違和感を感じつつも、走りやすさからだいぶスピードが出ていたと思う。

 

途中車をぴたりとつけられて家族連れらしき人たちがこっちに向かって何か言っている。

 

でも、聞き取れない。マレーシア語だろうか。

「英語で言って!」

こちらも叫ぶが言葉は一向にわからない。そのうち前を指さすようなジェスチャーを見せた。

 

次の瞬間、道路の出っ張りが飛び込んできた。

慌ててブレーキをするも速度は落ち切らずに出っ張りに乗り上げてジャンプ!

 

時間が停まる感覚とかそういうのは一切なく、着地とほぼ同時に転倒しました。

 

「そうか・・・あれを知らせるために言ってくれてたのか・・・」

スピード出しすぎとかそんなところだろうか。

 

東南アジアの道路には出っ張りが存在する。目的は車の速度を落とすためで、日本の停止線と似たような仕事をしている。しかしながら、停止線と大きく違うのは速度を落とさないと実害があるということだ。ちょうど今しがた吹っ飛んだ私がいい例である。

 

完全に油断していた。気温もあって長袖も着ず、ビーチサンダルで転んでしまった。バイクに乗らない人でも自転車に乗っていればアスファルトに投げ出された後のことは大体予想がつくだろう。

 

ただ、これは完全に勘になるが、今回の店頭で骨はやられていないと確信していた。道路の上を滑っただけで幸いバイクに挟まれたわけでもなく、地面にたたきつけられたわけでもない。なんとか立ち上がってバイクを寄せようとしていると後続からのバイクが停まって心配してくれる。その中にSuaidという男性がいた。英語が話せる彼は停まった数人と話をしてどうやら私を近くの病院まで連れて行ってくれるらしい。本当にありがたいし申し訳ない。

 

「傷はどうだ?」

引きずっただけで骨に異常はないと伝えると、顔をゆがませて傷を確認してくる。

「たしかに骨は見えてないな、強烈な痛みがなければ折れてはいないだろう」

みたいなことを言っていた気がする。擦過傷でずいぶん痛いがそこまで強烈ではない。

 

体の傷を確認した後はバイクを見る。ヤバイ、エンジンからオイルが漏れている。

そこでSuaidは質問してきた。

「すまないが私も用事があってそれほど一緒にいられるわけではない。病院かバイク、どちらか付き合おう。どっちにする?」

 

身体ももちろん大事だが、バイクが動かなくなればその後の行動が大きく制限されてしまう。日も暮れはじめ、時間的に余裕もなかった。しかもこのとき手持ちの金はそれほどなく、周辺のATMで新しいお金をおろせるかは謎だった。

 

「バイク屋を紹介してくれ、バイクが治れば自分で病院に行く」

Suaidは何件かバイク屋を紹介してくれたが、どこの店主も首を横に振った。バイクがタイ製だったためだ。外国のバイクは仕様が違うので直せるかわからない、という理由で突っぱねられた。バイク屋を移動する度にエンジンから白煙が上がる、エンジンオイルが完全に切れて、シリンダーが内壁と溶着すればエンジンを換装しなくてはならない大事である。それでもSuaidは粘り強くバイク屋を廻ってくれ、ついに「やってみよう」というバイク屋が見つかった。予算がこころもとないことを伝えると、それでもいいと言ってくれた。私の知る限り、持っているカードでお金をおろせるのは400km離れたクアラルンプール空港だけなので藁にも縋る思いだった。翌日に取りに来るように言われ、バイクを預けた。

 

「バイクは預けた、これからどうするんだ?」

タクシーを捕まえてホテルを探すと伝えると、Suaidはバイク屋となにか話していた。

「ホテルまでタクシーは結構な金がかかる。目的地の途中にあるホテルなら乗せていこう」

 

もうね、やさしさに涙が出そうになりました。世話になってる自分の情けなさにも。

 

それっぽい看板を見つけては宿が空いているか聞く。チャイニーズニューイヤーでいろんなホテルが満室の中、バリバリのマレーシア人の安宿を発見。

 

一言目が「お前中国人か?」

でしたが、違うとわかるとすぐに部屋を用意してくれました。いろいろあるんだろうな・・・・

 

Suaidに何度もお礼を言って彼と別れる。ちなみに彼は日本に帰ってからもメッセージをくれました。

普通に恩人です。

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シャワーを浴びて傷口を洗おうとしたらシャワー室にゴキブリが五匹もいたのでミネラルウォーターを買ってくることに。病院は値段が気になったので近くの薬局でオキシドールを入手することにしました。

 

たまたまホテルを見つけた場所がチャイナタウンの近くで薬局はすぐに見つかりました。薬剤師は大学でしっかりとした英語教育を受けていると聞いていたので相談に乗ってもらえると期待して来店。転んだこと、骨にはたぶん異常がないこと、お金が全然ないのでオキシドールをできれば量り売りしてほしいことを伝えると店主は笑顔で消毒やしたり包帯を巻いてくれました。

 

「いやいや、お金ないんだって!」

というと

「チャイニーズニューイヤーだからこれはお祝いだよ」

といって丁寧に施術してくれました。

 

助けられてばっかだな・・・

 

どこかを訪れるたびに「〇〇人」って言葉で人を括るけど、本当はそんなの関係ないんだよな。

立派な人が立派ってだけで。考えるのを終わらせる意味で〇〇人は~って結論つけたがるけど、それって全然本質じゃないよね。

 

ホテルに帰ってベッドを調べる。南京虫とかはいないみたいだ。

wifiもつながらないし、今日は早く寝てしまおう。

 

自身の油断とか見知らぬ街での人のやさしさとかそれに対する感謝を忘れないために写真を撮ってその日は床に就いた。

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いつかこの恩も誰かに返せる人間にならなければ。

 

 

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いざ行かん、キナバル山(後編)

決算期も最終日で安堵している皆さん、こんにちは。花粉症で鼻水が無限に出る宮下です。

いよいよ暖かくなってきて桜の季節ですね。

今年は奈良の吉野山へ桜を撮りに行こうと今準備中です。

 

とはいえ、東南アジアの日記終わってないんですが・・・

 

確定申告然り、その他の事務処理もろもろも一通り終わり、次に行く場所の再選定をしなければいけないんですが、

 

まぁ、ダラけるよね

 

春の暖かい風のせいとかにしちゃうんだけどとにかくヤバいよね。

何がヤバいって人としてこのままだとちょっとヤバイので色々動き出さないと。

 

日記ではキナバル山の山頂を目指すところでしたね。

夜更かしして夜空とキナバル山を撮って寝たよってところでした。

 

そして午前二時、幸いよく眠れたのか、ついさっき眠りについた感覚が残ったまま起床。出発は午前二時半からですが、この山小屋では早朝アタックのため、この時間からバイキングが開かれてるという至れり尽くせりぶり。昨日の夜から続く頭痛が心配になりつつも「飯を食えば治る」という暴論で無視することに。まぁ、高山病の初期症状で出る頭痛なので順応するか薬を飲むかの2択だったんですが、薬はうかつにも持ってきてなくてほっとくしかできなかったんですけどね。

 

部屋のメンバーはすでに皆起きだしていて「飯食いにいこうぜ」と急かされる。本当はマンディと食いたかったけど別に約束もしてなかったし、同室のマケドニア人と韓国人の私の三人で少し早い朝食。バイキング形式なのでそれなりの種類の食べ物があったが、なにせインドネシアに来て日が浅く、どの食べ物が自分の体に合っていないかわからなかった。その結果、私の皿には同じ種類の料理がどっさりと乗せられて、かなりマナー違反っぽい皿が出来上がってしまった。テーブルに持っていったら、ツッコまれると思ったが、マケドニア人と韓国人の二人は話に夢中で全くリアクションがなかった。この二人は私のようにエセイングリッシュとかのレベルではなく、フツーにネイティブっぽいレベルだったので話の断片しかわからず、テキトーに相槌を打ちながら料理を口に運ぶ。こちらに話を振られるときはゆっくり喋ってくれるのでいいが、そうでないときは目の前で悪口を言われても気づかないかもしれない。話の内容は多くが登山関連で、去年の地震で亡くなった方がいた場所にこれから行くんだぞ、みたいなことを話していた。

 

「それより俺、頭痛止まらないんだけど・・・」

 

と弱音を吐くと、韓国人が頭痛薬をくれた。

「俺の分は心配するな、こんなにある」

彼もこれほど高い山は初挑戦で心配になってたくさん買ってきたという、サンクス!

 

山頂で会おうとあいさつしてトレーを返し、ザックを背負って山小屋の入り口へ。マンディと合流するとテンションは高いもののよく眠れなかったようだ。登山歴は浅いが、睡眠の質と登山でのパフォーマンスは正比例するんじゃないかってくらい関係があると感じていた、マンディが心配だ。

 

これから上は鎖やロープを使いつつひたすら岩でできた巨大な坂を上るらしい。手にグローブをはめてアプソン(ガイド)を探す。

 

昨夜、レストランのテーブルを指さして「ここに集合」と言っていたアプソンは山小屋の外で仲間のガイドと座り込んでダベッていた。他のパーティは続々と出発していたので、マンディは若干お怒りだった。そんな彼女にはレストランで待ってもらい、人がいるところで名前を呼んでようやく見つけたのである。

 

「お、来たな」

アプソンがそう言ってゆっくり立ち上がる。

 

 

いやいや、お前が来いよ(笑)

 

アプソンは「タカサン!チョウシドウ!?」と、新宿のそういう街にいるフィリピーナみたいな質問をぶつけてくる。別にガイドが登山客の心配をしてるだけなのだが・・・マンディにはもちろん英語で聞いていたけど、ネイティブからすれば私が感じるのと同じように感じているかもしれないと思うと、ちょっと笑いたくなった感情はどこかへ消えて行った。

 

アプソンがコースの説明を簡単にする。それなりの急坂が続くので、途中で休もうとすると坂の斜面側に背中が来る。するとこれから登るために上を見る人の目に直接ヘッドライトが当たることになる。だからその時はライトを消すように。

そんな至極当たり前のルールが徹底されていることに感動する、道路の交通マナーは正直アレだが、山の上でのマナーは日本と遜色ないのではないか。

 

そうして私たち三人のパーティは出発。ここから先は渋滞が起きやすい場所だと聞いていたが、先に出発したチームはずいぶん遠くに見えたので煩わされることもないだろう。人がやっとすれ違えるくらいの道を列になって歩く。常に誰かのライトが自分の足元もついでに照らしてくれるので足元だけやけに明るいが、ほかのところは全くの暗闇である。岩の急坂はいきなりはじまるわけではなく、ゴツゴツとした岩が散見される泥まみれの道をただ進む。結構アップダウンが激しく、前後から「ゼェハァ」と音がする。先頭はアプソン、次にマンディ、そして私やほかのパーティという順で登っていたが、マンディの調子が芳しくなく、しょっちゅう止まっては短い休憩を繰り返していた。それでも辛抱強く進むとその道を岩の急坂を繋ぐ階段のようなところに出た。時間にして15分程度だろうか。周りの景色が見えないとこんなに時間を長く感じるものなのか・・・ざっくり計算すると岩の急坂は2時間30分ほど登らないといけないことになるな。

 

階段自体はしっかりと作られた木製のものでずいぶんと歩きやすいが、それでもマンディはつらそうに何度も何度も立ち止まって呼吸を整えていた。振り返ると我々を先頭にヘッドライト列ができあがっている。

 

山小屋までくる途中で早い人たちに幾度となく抜かれたとき、マンディは「兎とカメ」の話をして元気づけてくれた。その時は幾度と聞いた昔話自体ではなく、その童話がイギリス人やマレーシア人も知っていることに感動して元気になったが、今こそその借りを返すときである。ちなみに私はこのとき、ビックリするほど調子が良くて、韓国人にもらった頭痛薬も使わないのに、昨日山に登り始めたときより元気という謎のコンディションだった。

 

「俺たちチームのコンセプトは”ウサギとカメ”だ。だからどんなに抜かれても大丈夫。俺たちのペースでゆっくり登っていこう!」

 

マンディも昨日自分でそれを言った手前、拒めないのか、笑顔を作って立ち上がってくれた。

そうだ、俺たちは俺たちのペースで進めばいい。

 

そこからゆっくり、ゆっくり、階段を進む。数分だろうか。

 

たぶん角度的には90度とはほど遠いはずだが、真っ暗な空間に巨大な黒い斜面を目の前にすると”壁”を連想した。ロープをつかんで足を斜面にかけると、子供頃遊んだ大きなアスレチックが脳裏によぎる。

 

これで2時間も登るとしたら・・・

実際そんなことはない。まぁ、そういう場所もあるんだろうが、人間は不安に思った出来事をそのまま延長線上で考えてしまう。マンディは私の隣でため息をついた。

 

彼女はここでリタイアを決めた。

 

本人が「できない」となったら仕方がない。周囲の者が無理やり励まして強行させるのは危険だろう。

 

こういう場合、具合が悪くなった人を単独で下山させるわけにはいかない。知識豊富なメンバーが同伴しなければ事態が悪化しかねないからである。つまりアプソンはマンディ―と下山することになった。

 

「タカさん、この山の登山者チェックはとても厳しい。地震のときに大変苦労したからだ。絶対にチェックポイントで登山カードを見せてね。絶対ほかのルートから行かないでね!」

 

このことは特に重要らしく、何回も言われた。ほかにもロープが朝露で滑るから気をつけろだとか、ほかのチームにくっついて歩けとか、自分のペースを守らないと疲労で滑落するぞ、とか。その会話の間にも後続のメンバーが次々に岩の急坂を上っていく。二人に挨拶をして、その中に紛れる。話す相手もいないので黙々と登る状態になった。

 

登りの列は度々渋滞した。一本のロープにつかまっていい人数には限りがある。遅い人間がいるとどうしてもその後が詰まる。標高も3500mを越えた真夜中なのでそれなりの寒さだが、それでも見上げる星空の見事さで「それもいいか」と思えてくる。そうして人の列に従っているとチェックポイントが見えてきた。ほかのチームに続いて名前を言ったのでガイドのことは聞かれなかった。

 

チェックポイントを越えると急だった坂は徐々になだらかになっていき、狭かった登山道は本当にだだっ広い空間に変わった。ここにあるロープは坂の上るためのアシストというよりはこの広大な岩場を最短ルートで頂上まで登るための道標といったほうがしっくり来る。

 

こういうところまで来るとちょっとくらいロープから離れても・・・と一瞬思ったが、初見の場所ではしゃぐのは死ぬ危険が10倍くらい高くなるのでおとなしくロープに沿って歩く。荷物のわりに大分軽快に進めたのか、結構な人数を追い抜いて頂上付近までたどり着いた。ここまで来ると登ることで蓄えた熱量が止まると寒さで一気に霧散してしまう。かといってずっと登っていられるほど身体は順応してはいない、調子がいいとはいえ、いつもより圧倒的に息が上がりやすい。小さく登って、短く休む。岩の坂を越えるたびに頂上が見えないことにガッカリする。

 

歩き始めて2時間50分、ライトの列が伸びる先に赤い光が点滅しているのが見えた。頂上だ。

どうやらご来光には間に合ったようで真っ暗闇の中、山頂の看板にタッチ。

星は綺麗に見えるが真っ暗なので高さの感覚が全然ない。その辺の人に聞いて日の出の方向を聞く。

 

三脚とカメラをセットして日の出を待つ。海抜4000mを越える頂上はすさまじく寒く、頑張って早く登ってきたことを後悔するほどだった。さきに頂上に到達した人々の元気がなく見えたのは疲労ではなくて寒さだったんだろうな・・・中にはびっくりするほど軽装の人もいて、準備不足とはいえずいぶんかわいそうだと思った。

 

そして日の出。

雲海の先が薄く光る。

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重なり合った雲海は厚く、しかも山頂付近しか顔を出していないような高さだった。雲という空に浮かぶ存在にしてはあまりにもゴワゴワと硬そうなイメージだった。登ってきた岩山をイメージして暗く重く見えるように撮影。

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頂上近くにある岩山。これほど急ではないが、斜面の質はこの岩山と同質である。日の出前後の薄暗い光でなんとか登ってきた場所がどんなところだったか明らかになった。

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雲海は空気の流れに乗って動く。空気が山を越えれば雲もそれに乗って山を越える・・・わけだが、理屈で分かっていても雲の怪物が岩山を飲み込もうとしているように見える。目の前に広がるダイナミックな映像に効果音やBGMがないのも絶景を生で見たときの特徴かもしれない。

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これは実際に登ってきた場所。岩の稜線、左の方にになんか出てるのわかりますか。これ人です、こういう圧倒的スケールにいや応なく圧倒されます。

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あれやこれや撮っていたら日の出直後の眩しいけど強すぎない光はどこかにいってしまった。徐々に明るくなって逆光の部分にも色がつきはじめる。それにしてもこの山はすごい形をしている。

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稜線が険しすぎ。登山道じゃないけどあそこは行けたらかなりスリルがありそうだ。恐竜の化石みたいな形をしている。

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そうこうしているうちに頂上にいた人たちは戻り始める。ご来光を見たので用が済んだというところだろう。ガイドに促され続々と帰還していく。感動してすっかり忘れていたが、そういえばここには一人で来たんだった。適当な頃合いを見て帰らなければ。

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場所によってはすっかり雲海がなくなっている。ってか、本当に岩山だな。これで地震起きたらホントヤバイだろ。

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一応山頂も撮影。これを撮影しているときに「自分の写真も撮らないで看板とって何が面白いの?あいつバカじゃね?」って白人の若者に悪口を言われた。

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もうね、めちゃくちゃ感動した。

 

ネイティブがボソボソ言ったセリフを聞けるようになるなんて、やっぱり英語は現地で覚えるべきなんや!

 

山頂ついたよりそっちのほうが達成感あった。

 

そのメンバーがいなくなるといよいよ山頂に一人になる。荷物をザックに詰め込んで背負いなおすと、ロープを伝って下山開始。帰りの道は太陽のおかげで全部見えて楽しい。途中雨が溜まった池に巨大な岩山が写りこんでいた。乾季の山頂に雨が降るのは数年に一度だという。この景色はレアリティが高いみたいだ。

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そして山頂を振り返る。下から見るとピラミッドみたいになった場所だったのか。名残惜しいのか、少し下ったところで山頂と写真撮影する人が何人もいた。

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逆光の中、来た道を戻る登山者。壮大な景色、とはこういうことを言うんだろうな。最初にこの光景を見た人は何を思ったんだろうな。

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明るみに出たロープ。やはりだだっ広いところを最短距離で歩くための道標だったか・・・ちなみに少しぐらいロープから離れても足がはまりそうな穴とかはありませんでした。

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斜面の岩肌。ところどころに草が映えてるんだけど基本的に全部岩石。ヒビがたくさんあってどうやら割れると平たい岩板ができるみたいだ。3畳くらいの大きさをした岩板があちこちにあって、正直びびりました。ちょっとの揺れてズレ落ちてきそう。

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登ってくるのに時間がかかったのは伊達じゃなかった。ロープはひたすら続き、雲の中に伸びているよう。

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斜面と岩山。地球っぽくない光景が延々と続く。これてよかったなー。

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こうやってみるとみんな軽装である。山小屋に荷物を置いて必要最低限の装備で目指すのは基本なんだけど、私は盗難が怖いので全部持ってきました。ゆえに重心が高いと転びそうで下りで一層気を揉む始末。それにしても自然ってのはすごいなー。

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途中で日傘をさして歩いているチームを発見。昨日見かけたカラフルな傘は登山客用の日傘だったのか・・・

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岩肌と雲海。色味が少なく、水墨画のような景色だった。

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ようやくチェックポイント近くまで戻ってきた。帰るペースが遅かったのが幸いして雲海が薄くなるのと同じペースで降りてこられた。ここから先はこの雲を抜けないといけない。

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ザックにカメラを詰めるとすごい勢いで登ってくる奴がいる。アプソンだった。

 

「タカサン、イッパイシャシントレタ?」

絶景に感動し、何回もシャッターを切ったことを伝えると彼も嬉しそうだった。

 

靴ひもを縛りなおして本格的に下りだす。下山はケガをする確率が高くなるので下りると決めたら集中しなければいけない。本腰を入れたら早いもので登りの苦労はどこへいったのかというくらいすぐに山小屋についた。

 

マンディと再会する。彼女は人間ができた人で暗い表情も見せず、山頂にたどり着いたことを祝福してくれた。山小屋で少しだけ休憩をとり、その後速攻で下山。行きと同じようにアプソンは他のガイドとおしゃべりするため、パーティーから度々離脱し、マンディはご立腹を通りこして呆れていた。

 

森林限界まで戻ってきたあたりで景色が開けたので撮影。昨日はガスっていてまったく見えなかったけど、こういう景色だったのか。山頂と全然景色が違う、昨日の時点でたとえ見えていても山頂の感動は少しも減らなかっただろう。

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そうして無事、事務局まで降りてきて登山終了。山頂へ到達した賞状みたいなのをもらったが正直いらなかった。

 

午後早くには下山して、おととい泊まったホテルへ。ここで気づいたがマンディも同じホテルに泊まっていたので夕飯の約束をしてチェックイン。疲労もあってすぐに寝てしまったが、夜になってシャワーを使おうとすると水が出ない。トイレも流れない。

困ってホテルのオーナーに言ったら、お湯を作ってくるからそれと汲んできた水を混ぜて使ってほしいとのこと。

 

「え、じゃあ、その分安くしてよ」

と思い交渉。一日中歩き回ったのもあるし、疲れをとる意味でもシャワーを楽しみにしていたのに・・・おととい泊まったときはちゃんと使えたのに、その時と同じ料金でシャワーが使えないなんておかしいと思いました。疲れて若干怒りやすくなっていたのかもしれない。

 

「安くはしないよ。シャワーはお湯と水を混ぜたものをかぶれば大丈夫。」

「いやいや、シャワーはもちろんそれで代替できるけど同じ値段なのはおかしい。少し値段を下げてくれ」

 

この問答がしばらく続き

「わかった、金返すからほかのホテルを探すといい」

と言われて金を返されました。

 

マンディは彼らの言っていることもわかるし、あなたの言っていることもわかる。ただ、今からホテルを探すのは正直大変よ、とたしなめてくれた。そう、ここから街まではバスで二時間。そのバスもいつ来るかわからず、バスを待つ唯一の施設であるレストランももうじき閉まる。妙な胸騒ぎがして速攻で荷物を撤収。

 

マンディに別れの挨拶をしてホテルを後にする。彼女のおかげで登山はすばらしいものになったし、本当に出会いに感謝した。別れがこんな形になってしまったのは残念だが、そうしたのは自分なので次の行動をとるしかない。ホテルを出る間際、ホテルのオーナーは「地震の後、水道の調子がおかしくなって・・・」と話していて少し同情したが、チェックインのときに事前に話してほしかった。こういう怒りって自分の期待値に自分が裏切られてるだけなんだよなー。まぁ、でも使えるっていってお金とって使えないのはダメでしょ、とシンプルに考えてチェックアウト。

 

ホテルを出て30mほど離れたバス停に荷物を置き、レストランでバスの時間を聞いた時にバスがちょうど到着。予定時刻の20分遅れで到着らしく、この辺では珍しくないらしいが、その遅刻で救われた。次のバスは4時間後だった。

 

こうして無事に街まで到着。初日に見つけたゲストハウスでシャワーを浴びて布団に入り、行動してよかったなーと思いつつ就寝。次の日は当然のごとく寝坊しました。

 

登るものも登ったし、クアラルンプールに戻ってまたタイを目指します。

 

それでは!

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いざ行かん、キナバル山(前編)

三連休を満喫中の皆さんこんにちは、毎日が日曜日の宮下です。

 

日本に戻ってきてもう十日ほど経ちました。花粉症で横隔膜が筋肉痛になりそうです。

 

ところで、まぁ今更なんですが・・・

実は携帯電話が一切使えない状態です。

 

もし、万が一電話くださった方、LINEで連絡くださった方申し訳ないです。

あと数日したら電話できるのでもうしばらくお待ちください。

 

日記の続きは東南アジアでも有数の高山であるキナバル山を目指すというところです。

この日記めっちゃ長いです、数日分を圧縮して書いてるのとなんか縦写真がいっぱいあるせいで結構スクロールしなきゃいけなくなりました、てへ。

 

 

キナバル山は今いるマレーシア国内にあるとはいえ、クアラルンプールとは別の島にあるコタキナバルという地域にあります。幸いにしてこの地域にはコタキナバル国際空港があるため、クアラルンプールからのアクセスが容易。シンガポールに行く代わりに登山を選ぶんだから目いっぱい楽しんでやるぜ!と意気込んで空港へ。

キナバル山地図

ここで私はイージーにしてクリティカルなミスをしていました。

 

マレーシアと日本の時差です。

 

タイは二時間だったんですよね。で、地図見るとタイの首都バンコクからマレーシアの首都クアラルンプールってほぼ同じ経度にあるんです。360度で一周なんだから15度経度がズレたら1時間時差が発生するなんていうのは小学校のときやってたんで、まぁ、時差はタイと変わらないだろう、と思い込んで調べてませんでした。

 

気づいたのは空港についてから。これまで五日間はマレーシアにいたのになぜ気づかなかったのか・・・

 

焦って予約した航空会社に並びます。なんだかんだで列に加わったのはフライト1時間。

出発の30分前にはチェックインしなきゃいけないんで結構焦ってターミナルを移動。

チェックインに着くと私の前にはマレーシア人らしき人と中国人の二人、なんとか間に合うだろうと安心していました。

 

ところが最初のマレーシア人が長いのなんのって・・・予約受付のお姉さんがすごく美人さんで、その男性はすごくにこやかに話し込んでました。もうね、めっちゃイライラしましたね。俺がせっかちなだけかもしれないけど、飛行機の予約をその場でとって、例えば「乗り継ぎの空港で預け荷物をいったん受け取りたいんだけど」みたいなわがまま言っても10分かからないと思うんだが・・

 

大分時間食ってたので前に並ぶ女性に事情を話してもし可能なら交換してもらおうかと思ったんだけど、中国人の女性は英語が全然話せず会話がまるで成立しない。そうこうしているうちにその女性の番になった。まぁ、普通に行けばすぐに終わるんだろうけど、この女性が手続き中に家族を召喚。日本にもいるけど「並んどいてね」ってやつですね。

 

もうね、絶望しました。

 

同じころ並んだ隣の列の家族が笑顔でチェックインを終えるのを指をくわえてみてました。

結果、フライト26分前に受付へ。

 

「お客様、チェックインは30分前までとなっています」

 

「もちろん知ってます。けど、割り込みもあったんだから大目に見てもらえませんか」

 

「ダメです」

 

そうだよね、シビアだね、その辺は。ちょっと粘ったけど「システムが受け付けないのでどうしようもない」だって。7000円近く払って一便ずらしました、ぐふ。旅の時間が長くなると「その地域で何ができるか」ってことでお金を評価するようになります。7000円といったら三日暮らせますから・・・

 

なんだかんだで夕方にコタキナバルに到着してインフォメーションで調べたゲストハウスへ。この泊まったゲストハウスは一階が酒場、二階がドミトリーというタイプ。日本人も泊まっていて久々に日本語で話をしたら気分が大分救われました、感謝。ここで一泊して明日キナバル山のヘッドクォーターオフィスに行ってみることに。飛行機で移動しただけだったのにすげー疲れた一日でした。

 

キナバル山はボルネオ島サバ州にある4095mのマレーシア最高峰で、頂上付近は広大な花崗岩の岩場が広がり、まるでほかの惑星のような景色が有名な一方、麓の森林地帯は生物多様性に富み、6000種異常の植物と100種以上の哺乳類が確認されている巨大なジャングルが広がっている。この山域は、キナバル自然国立公園としてユネスコの世界遺産にも登録されている。

 

そういう立派な場所なので登山には二つのルールがある。

1.ガイドを雇う必要がある

2.山小屋の予約をしておく必要がある

 

これを含めたツアーが日本の旅行会社や現地マレーシアの旅行会社から出ているが、なにせお値段が非常に高い。ネットで調べたところによると、どうやら山小屋の空いた枠をツアー会社が取りあっているのが現状らしい。ただ、実際にキナバル山の入り口にあるオフィスで直接予約も可能だという情報があり、それが一番安いと聞いたのでその方法にトライしてみることに。

 

翌日、朝一番でミニバスに乗り込み、三時間かけてキナバル山を目指す。揺られる途中で予約が取れるかかなり心配だったが、そのバスで仲良くなった人の話によると「ツアー会社も全部予約したらダメってルールあるから大丈夫だよ」と教えてくれた。彼は中国系マレーシア人、会計士で大学の講師もしており、四か国語が喋れるらしい。チェンダオ山で会った女性も四か国語がしゃべれるといっていた、すごい人ってたくさんいるんだな・・・こういう優秀な人が実際、日本にどっと流れ込んで来たら俺が働く場所とかあるのかな?と真剣に思いますね。

 

まぁ、無職なんですけどね。

 

緊張の面持ちでヘッドクォーターオフィスに入り、予約をしたい旨伝えるとあっさりオーケー。ただ値段が調べてたものより大分高い。日本の旅行会社が企画するツアーと同じくらいの値段である。

 

「ネットで調べたら〇〇リンギットで登った人がいたんだけど値上げした?」

 

しっかりした施設なのでぼったくられるようなことはないと思ったので理由を聞きたかった。

笑顔だったオフィサーが苦い顔で言う。

 

「去年大きな地震があったんです。それで山道が壊れたので直すのにお金がかかったんです」みたいなことを説明してくれた。あー、そうなんだ。安くしろとか一切言えないね。

「ガイドやお客さんも何人か亡くなりました」

英語力が足りないとか以前に日本語でもなんて言ったらいいかわからなかった。

 

山小屋の予約を終えたらその用紙を持ってガイドを雇いに行く。山小屋の予約をしたオフィスの隣に斡旋所があってそこですぐに手配してもらえた。ここの値段もあらかじめ調べてたより大分高い。でも、こればっかりはしょうがない。

 

手配を済ませてオフィスの外からキナバル山を拝む。森林が雲まで続いているので頂上付近の岩場は雲の中にあるということか。一泊二日で登るので、運良く頂上に立てるとすれば明後日。乾季のこの時期に天候が崩れることはほとんどないと聞いたけど雲に覆われるのはまた別の話だからな。なんとか晴れてくれるのを祈ろう。

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幸いにしてヘッドクォーターオフィスのすぐ近くに比較的安いホテルやレストラン、そして小さな商店があり、次の日に備えることができた。

 

翌日、ホテルの玄関で外に置いていた靴をひっくり返す。タイでは外に底が深い靴をおいておくとサソリが入っていることがあると聞いていたのでマレーシアでもやっている。サソリは入っていなかったがデカイ蛾みたいなのが入っていてビビる。やはり用心に越したことはなかった。

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決して乙女ではないがデカイ虫を見ると若干テンションが下がる。

ホテルからヘッドクォーターオフィスに向かう途中で「さっきのやつキモかったなー」と振り返ると綺麗な虹がホテルから伸びているみたいに見えた。根拠はないが登り切れる気がした。

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早朝の雲海。早朝と言っても七時になる前くらいだが高所での気温は低く、朝から絶景を拝むことができる。

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雲の合間に見える山々。七時とはいえ山間のため太陽の光は射し込みはじめたところだ。山と雲だけのモノトーンの世界にグラデーションが生まれ始める。

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ガイドと落ち合うために昨日手続きを行ったオフィスの中へ。

今回の登山にはポーター(荷物運び)がいない、かといって持ち物を削ると「ああ!あのレンズ持って来ればよかった!」ということになりかねないので全部リュックに詰めてきた。昨今の登山リュックは非常に背負いやすい構造とはいえそれでもズッシリとした重みがある。

 

ガイドを待ちながらリュックのベルトを調整する。前かがみになってその場で足踏みしているとふいに話しかけられた。

 

「あなたは登るの結構早いの?」

 

呼ばれた方を見ると白人の中年女性が笑顔でこちらを見ている。

ヤバい、ネイティブだ。いや、ヤバくないんだけど。

今までネイティブじゃない相手だからズカズカテキトーな英語でやり取りしてきたけど実際ネイティブと面と向かって話すと、「間違っているんじゃないか?」みたいな謎の抑止力で途端に喋れなくなる。

 

「もしよかったら一緒に登ってガイドをシェアしない?」

 

「え・・・あ・・・はい」

たぶんこういう返事。返事をしてから「こんなんでこのあと登山が楽しめるのか!?」という不安に狩られた。それを察したのか「本当に大丈夫!?」みたいに気をきかせてくれた。

 

でも、まぁ旅の恥はかき捨てっていうからね。

「カメラでいっぱい撮影したいから俺は登るのめっちゃ遅いですよ」

と答えると笑顔で握手してくれた。

 

彼女の名前はマンディ。登山が趣味でイギリスのロンドンから東南アジアの長期旅行に来たらしい。後に知ることになるが山頂には届かなかったもののエベレストにチャレンジした経験もあるそうだ。

 

ちょうどその時にガイドの人が登場。中年の男性で名前はアプソン。英語は達者でネイティブのマンディとのやり取りもすごくスムーズだ。思いがけずメンバーが増えたけどこのチームでこの山の頂を目指す。

 

ミニバスに乗り込んで登山道まで移動。

 

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ミニバスの値段もマンディと折半。単独行動ばっかりだからこういうところの恩恵は素直に嬉しい。登山口前のトイレにマンディが行っている間、アプソンを撮らせてもらった。彼は慣れた様子で笑顔をくれる。

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アプソンの英語は訛りがあるように聞こえるものの、日本人と一緒で一語一語しっかりと喋る。注意事項等も聞き取りやすい。それに対してマンディの英語は流暢すぎて長い文章はあんまり聞き取れない。旅で使う英語ってすごく限定的だからなんとかなってたけどちょっとした世間話をしようとすると全然だめだなー。帰ったら勉強しないと。

 

登山口につくとかなり厳重なゲートが登場、さすがは国立公園。左の窓口では荷物の内容や重量の計測、ナンバーカード(登山者全員が配られる)の確認。右の窓口ではチョコレートやジュースなどの販売をしていた。アプソンの説明だとここで軽量した荷物を有料でガイドに持ってもらえるらしい。マンディはシェアできたおかげだと笑顔でアプソンに荷揚げを依頼してました。私も一瞬依頼しようかとも思ったけど、航空機の便変更で思わぬ出費をした直後なので己の大腿筋に頑張ってもらうことにしました。

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登る間際にルートの説明があった。従来は二通りの登山道があったが去年の大地震により片方を修復して利用している状態、もう片方は復旧の目途が立っていないらしい。

 

「難しく考える必要ない。今日は7km先の山小屋を目指して歩く。1kmごとに休憩所があって休みながら進む。山小屋で一泊して早朝に山頂を目指し、その日のうちに戻ってくる。迷うことはないから心配するな」

 

そう、キナバル山の登山はシンプルだ。

 

頂上までひたすら登り。

 

そんなの山なら当たり前だと思うかもしれないが、この山の特徴は平坦な場所がないことだ。一部の山を除いて多くの山では登りと平坦な道を繰り返して山頂に到着するものだが、ここは8kmの間、ずっと階段を登るイメージが適当らしい。まぁ、事前調査の上なので覚悟はしてました。

 

最初のわずかに平坦な道を歩く。太い水道のホースが延々と伸びていて、朝露に濡れたぬかるんだ道で頼れる手すりになってくれる。

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スタート地点で見た謎の花。帰ってきたら日本でも似たようなのを見かけたのであんまりレアじゃないんだろうな。

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登山道は非常に綺麗に整備されていて歩きやすい。歩きはじめるころになると陽も大分上の方から照っていて見上げると木漏れ日が気持ちいい。

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光を受ける苔。”フラクタル”って言葉があって「自己相似性」という結構難しい日本語に訳されるんだけど、要はでっかい形と同じ形が小さいところにもありますよーって意味らしい。今いる場所は大きな目で見ると森なんだけど、こうして目を凝らして探すような苔も拡大してみると木々が茂る森のようになっている。フラクタルは自然界に結構あふれているらしくて雲なんかもそうなんだって。不思議だよなー。

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少し歩くと目的の山頂から雲が取れていた。あそこに立ちてー!

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拓けたところもあればうっそうと茂るところもある。そのクセ登山道自体はよく整備されていてよっぽど不注意でなければアクシデントもなさそうなところだ。それに助けられて「ずっと登り」というルートもそれほどきつくは感じなかった。

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朽ちた木から新しい枝が湾曲して伸びていた。蛇かと思ってびっくりしたので撮影。なんだかんだでわりと余裕がある。

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厚く茂った広葉樹の屋根は日中とは思えないほど太陽光を遮断してまるで洞窟の中にいるような場所もあった。そういうところはその先に浮かぶ光があまりにも眩しくて「眩しいなー」とか独り言を言ってしまう。日本語で言ったはずだがマンディも「本当ね」と相槌を打っていた。同様の体験に同様の言語って必要ないんだな。

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半分ほど来てからアプソンとの距離が離れることが多くなった。彼はガイド仲間とすれ違うと何やら話し込んで距離が空いてしまう。このころからマンディはアプソンに対してちょっとずつ言うようになっていた。別に不穏な空気とかではないけど、「いいガイドではないからチップは払っちゃだめよ」と言って来たりしてた。まぁ、ここからほとんど二人で登ったようなものなのでマンディの言いたいことには共感した。

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そんなこともあってかマンディと喋りながら登る時間が長くなった。お互いの経歴や今やっていること、そして安全な登山の方法など色々アドバイスしてくれた。そんな話をしていたらこの看板。追い付いてきたアプソンの説明だと去年の地震の時にこの先で崩落が起きて人が亡くなったらしい。写真は撮らなかったけどたしかに大きな岩がせり出した場所だった。

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そこを越えると山側の壁が土が切り立っただけのものになった。横から髭のように生えている植物の中に蛇とかがいないか不安になる。

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七割は来ただろうか。景色が開けると辺りは霧が立ち込めて幻想的な風景に。霧というか雲なのかもしれない。体力が奪われそうなのでカッパを羽織って進む。

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歩きやすかった木道は終わり、土と石でできた階段に変わる。それでもちゃんと”階段”として作られた場所なので歩きやすいことは歩きやすい。なんとなくだが木の背が低くなってきている気がする。

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森林限界が近いのか木々の葉は枯れ気味であらわになった湾曲した枝が異様な雰囲気である。怖い話とかの扉絵で出てきそうな印象の風景になった。

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これは繁った緑の中の枯れ葉が銀色に光って見えたので撮影。写真にしたらそうでもなくて残念。

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疲労して上がりにくくなった足を露出した根に引っかけないように進む。マンディもここまできたらほとんど喋らない。黙々と距離を伸ばす。

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登山客相手ではなく荷揚げに集中するポーターたち。日本の山小屋ではヘリで荷物を揚げる場所も少なくないらしいがここではすべて人力。マンディの話だと彼らが履いている靴は麓の街で5ドル出せば手に入るという。一般でいう登山靴のように足首を固定するものではなく明らかなストリートシューズなのだが、アプソンが言うにはあれが一番この山の登山には適しているという。

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道中、アプソンが追い付いてきて「この先に展望ポイントがあるんだ」みたいなことを言うが、雲で結局何にも見えなかった。帰り道に期待しよう。

 

水分がちょうどなくなったくらいになってようやく山小屋に到着。

広場で先に休んでいた登山者の人たちが「調子はどうだ」と声をかけてくれる。見ず知らずの人との声の掛け合いはどこの山でも共通なんだな。

 

山小屋到達記念にマンディとアプソンの写真を撮った。明日は午前二時半から頂上に向けて登山を開始するらしい、マンディと夕食を一緒に食べる約束をして部屋に向かった。

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部屋は男女四人のドミトリーで私の他に韓国人、マケドニア人、マレーシア人がいた。マケドニアとか初めて聞いたので「どこにあるの?」って聞いたらギリシャの北だと教えてくれた。「ギリシャの経済大変だね」というとものすごく何か言いたげな顔をしたあと「・・・大変なんだよ」と。英語に溜めってあるんだと感動した。

 

夕食までは時間があったので明日登る山を見たくて外へ出た。するとちょうど部屋の隣にある非常階段でドアに寄りかかりながら煙草を吸う人間を発見。この学校の屋上で煙草を吸う不良みたいなやつはドイツ人で「ここからの風景が一番きれいに見える」と意気投合した。同じく明日の夜に頂上を目指すらしい。カメラが趣味で山を撮るのが好きだという彼と話し込んでいるとあれだけ厚かった雲が取れた。あの先に山頂があるらしい、完全に岩山である。

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山小屋の飯はとにかく豪勢だった。バイキング形式だがおいしくて結構おかわりした。すごいのは飯だけじゃなくてシャワーもビックリするほどの湯量で暖かく、至れり尽くせりで日本の山小屋よりよっぽど快適なのにちょっと驚いた。

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夜、時間にして十一時ごろ目が覚めた。それなりに疲れてはいるはずだが布団に入った時間が早かったのと明日への興奮で眠りが浅かったようだ。

 

非常階段から外を眺めると夜空に星がたくさん瞬いていた。重さにめげず持ってきた三脚を広げてカメラを覗く。登山の最中、いやというほど見れるだろうがロープを使う斜面が続くと聞いているので写真は撮れないだろう。睡眠時間は減ってしまうが後悔なく楽しむために、撮影を始めた。雲が横から流れてきてなかなか満点の星空が撮れずに苦心していると昼間のドイツ人が再登場。時間はそれほど長くなかったけど「山が好きな人って日本でも海外でも変わらないな」と感じる時間を過ごせてよかった。

 

写真は高感度にして撮ったので肉眼だとここまで見えないです。それでも息を飲むくらいの美しさがありました。

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このあと布団にもぐりこみ、熟睡はできないものの時間に間に合うように起きることができました。

明日はキナバル山頂を目指します。

 

それでは!

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世界遺産の街マラッカ

決算期に入り大忙しの皆さんこんにちは、無事確定申告が終わりました、宮下です。

 

日本に戻ってきたら旅もいったん終わりだし、ビックリするほど日記が進むんじゃないかと自分に期待してたんですが、

逆にビックリするほど進まない。

 

いやぁ、自分のポテンシャルには驚かされてばかりです。

日本の生活がもう素晴らしすぎて、半分主婦化してますからね、これはまずい。計画立てて次の旅に出なければ・・・

 

この前は・・・ジョージタウンとか!?いやいや、キャメロンハイランドまで行ってましたね、よかった・・・

キャメロンハイランドを越えてクアラルンプール近郊に泊まった日、ホテルでこれからの旅程を考えました。なんだかんだでタイが楽しすぎて大幅に日数をとっていたのでここからシンガポールへゆっくり向かっているとラオスやカンボジアに行く時間がない。

じゃあ、そもそもなんでシンガポールへ行くのかと言われると、実は理由がない。

 

言うなればそれはシンガポールが南端だから。

 

バイク乗ってるやつは目的地の設定がこんなもんです。バイクに乗る理由が欲しくて出発しますからね。

目的地を設定するのはバイクに乗るための手段なんです。

 

一方でこんな話も聞いてました。マレーシアにあるキナバル山がすごいらしい。キナバル山は4000mを越える東南アジア有数の標高が高い山で、その山頂はまるでほかの惑星のようだ、と。キナバル山へ登るにはわざわざクアラルンプールから飛行機に乗って、空港からバスで3時間。ただ調べるとどうやら登れないこともない。

 

この旅はもはやバイクに乗るというよりは写真を撮るための旅と化してますからね。

 

シンガポールまで片道500kmをマーライン撮るために移動するのもアレだし、ここは登山するか!って考えに至りました。なのでシンガポールへは行かずにクアラルンプールからコタキナバルへ向かいます。

 

さっそく旅券を予約。まぁ、当日券はさすがにキツイので翌日に予約して、それまでの時間で比較的近くにある世界遺産のマラッカを観光することにしました。いつも通りチェックアウトを済ませ、バイクの元へ毎朝出発前と到着後に車体の簡単な点検みたいなのをするんですが、最近めっきり後ろタイヤがツルッツルになってまして・・・

 

まぁ、マラッカからクアラルンプールに戻ってきたらタイヤ交換して気持ちよくキナバル山を目指そうなんて思ってたんです。本当だよ?

 

そんな心持でマラッカに向かう途中、グニャリいやな感触がして車体が蛇行し始めました。

高速道路で。

 

ちょうど運よく下道に出れる分岐点だったのでそのまま高速を離脱、自転車みたいな速度で料金所を通過しました。ちょうどそこにいた警察官(迷彩服だから軍人かも)に

「パンクしちゃった!近くのバイク屋紹介して!」

と泣きついた。東南アジアの旅ではとにかく人の親切に頼ってやれホテルだのやれ警察署だの場所を聞きまくりましたが、

日本で外人に聞かれて俺は同じ質問に答えられるのか?

とちょっと反省します。まぁ、タイもマレーシアも都市部でなければ主要路に沿ってホテルや警察署があるのでわりと答えやすいのかもしれませんが、いきなり外人に「〇〇はどこにあるんだ?」って聞かれるのはハードル高いよなぁ。

 

二人いたオフィサーが相談して一人についていくことに。まぁ、私もバイクで旅してる身なのでこういうトラブル、特にパンクなんてのは起きて当然くらいに思ってました。だから改めてこのタイヤのツルツルさ具合を見て、むしろ良くぞ今までパンクしなかったな、お前はと。いや、普通に換えろやってカンジですね。ここまでで5000km走ってます、お疲れさま!

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オフィサーは駐車場まで案内するとパンクの様子を伺う。その隙に荷物を降ろし、シートの下にある予備のチューブと車載工具を取り出した。

「釘を踏んだわけじゃなくて溝が徐々に減ってパンクしたと思うんだ」

オフィサーが頷く。

「チューブの換えならあるんだ、でも空気入れがない。もし近くにバイク屋があるならそれだけ借りられればいいんだけど・・・」

言い終わらないうちに「お前はここにいろ」と言ってどこかへバイクで向かった。たぶん空気入れを持ってきてくれる、ことに期待しよう。

車載工具を使ってパンクしたタイヤの取り外しにかかる。車載工具から頼りない太さのスパナとメガネレンチを使って固定されているナットを外そうとする。

 

が、取れない。

後ろタイヤを固定するナットがすさまじい硬さで固定されていて車載工具ではビクともしないことが判明した。車載工具ってのはバイクを買うとついてくるオマケ程度の道具で組み立て式の棚なんかを買うとついてくる簡易的な工具とほぼほぼ一緒である。材料費をケチってるのか長さが全然ないのでモーメントがかからず使い物にならない。

 

いや、出発前にそんなのは知ってたんだがお守りがてら持ってきたんだった。

 

使えないならなぜ後生大事に持ってきたのか・・・いや、一応ミラーの調整くらいには使ったが・・・

完全に露呈したよね、計画のなさが。

 

何とかなるさ!が悪い方に出たパターン。気分とは裏腹に快晴の空に浮かぶお天道様がジリジリと肌を焼く。

 

あー・・・これ空気入れ持ってこられても直らないわ・・・

と凹んでいるところへオフィサー登場。こっちが謝るより先に「近くのバイク屋に行くぞ!」と案内してくれました。バイク屋に着くと「タイヤもダメだからチューブだけ換えてもすぐにパンクする、全部換えてもらえ」と。そういう狙いで空気入れを借りずに直接連れてきてくれたようです。もし私が女子だったら

 

素敵ッ!抱いて!

 

ってなってたかもしれません。でも、そこは三十路のオッサンですからね、フツーに感謝して別れました。連れてこられたバイク屋は小さな小屋のようでお世辞にも綺麗とは言えない場所でした。店員がオッサンと若いにーちゃんの二人とか・・・

 

もうね、こういう店大好き。

 

こういう店の方が丁寧な接客したり、親身に話を聞いてくれたり、世間話の中にアドバイスが入ってたりするんですよ。オッサンはタイヤを一回転させて眺めると速攻で外し始めました、煙草吸ったままのカジュアルさがいいよね。

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そのタイヤレバーで今まで何本のタイヤを交換してきたんだろう、と思ってよく見るとマイナスドライバーでした。弘法筆を選ばずってやつですか。

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タイヤ修理の最中に若いにーちゃんにはオイル交換を頼みました。ちょっとだけ英語が喋れるらしくアプリで友達登録しようと言われましたがそのアプリを持っておらず・・・すまぬ。マラッカへ遊びに行く途中だと伝えると「それは遠いね!」だって。今まで道のほうがずっと長いよと答えると「言う通りだね」と笑ってました。タイのバイクだけど快く直してくれた、感謝!

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先ほど下りてきた高速に再度入場。世話してくれたオフィサーにお礼が言いたかったけど対応中で忙しそうだったので手だけ振ってその場を後にする。ありがとよー!

そこから30kmくらいだったかな。遠いと言われてたからもっとあると思ったけどめっちゃ近いじゃないですか・・・とこの時思いました。後にスクータータイプのバイクは「レディバイク」と呼ばれていて、おばちゃんが買い物に行くときに使ったりするのが一般的で、30kmでも十分遠出らしいことがわかりました。

 

マラッカの街が近づくにつれて車の流れが徐々に悪く・・・適当なところに相棒を停めて徒歩リングに切り替えました。足が取れるまで歩いてやるぜー!

 

マラッカはマラッカ海峡に面する交易都市で古くから他民族の交易地として知られていた。街の文字盤には多い時で6000もの言語がこの港町で商いのために飛び交っていたとの記述、本当かよ。

 

一体だれが数えたんだ・・・。

 

まぁその数よりも驚いたのはその中に「Ryukyu」ってのがあったことです。JapanじゃなくてRyukyuなんだって・・・まぁ薩摩藩が併合する前の話なんでおかしくはないんですが、そんなに前の沖縄からこのマラッカまで船で交易するとかすげーな、と素直に思いました。そういう他民族の交流もさることながら16世紀にはオランダ、17 世紀にはポルトガル、そして18世紀イギリスと代わる代わる植民地として統治されていた歴史を持っている。それゆえに街並みはどこか西洋的な要素が強く、街並みが美しい。

 

そんな歴史を持つ街なのでランドマークもこういうカンジにダイナミック!

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その裏には巨大な水車。歴史的意味があるのかとおもったら生命の輪廻や文明の発展を表したモニュメントらしい。

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川の向こう側の建物。西洋っぽく見えなくもないけど壁に漢字があるだけで一気に中国建築に見える。ちなみに街へ続く運河の岸にはいたるところに砲台があった。何でも交易船だけじゃなくそれを狙う海賊船も多かったんだとか。天災に人災、海の男が勇敢だと言われる理由もわかるなー。

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ここはオランダ広場と言われているらしい。中央の協会はオランダ統治時代に建てられたもの。広さもそれなりにあるのでまさにお土産市場。中国と英語と日本語が飛び交ってました。

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東南アジアにあるメジャーな宗教施設で一番シンプルなのはキリスト教なイメージ。実は撮影してるすぐ横でキリストとマラッカのコラボグッズみたいなのが売ってて「どこも変わらないんだな~」と思いました。

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せっかくだから主要モニュメントだけじゃなくて街歩きしようということで郊外へ向けて出発。やっぱり一大観光地だけあって車は結構渋滞してました。

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街歩きはやっぱり楽しい。ハトがやたらと群がる噴水とか・・・

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旧正月に沸く中華街の人だかりとか・・・

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街角に停められた白バイとか・・・

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写真をお願いしにくる白人のおばさんとか、風俗の客引きのおっさんとか。全部一期一会だからなー。

 

そうして歩いていると

 

!?

 

って像があった。これだ。

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理由はないけど思い出風に加工。効果音は「パァア」ってカンジで。

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凄まじい筋力!刃牙に出てくるオリバみたいなやつだなー。どうやら彼はミスターマレーシアやミスターインターナショナルになったこともある英雄的な人らしい。女性観光客がめっちゃキャイキャイしてた。どうでもいいんだけど、その脇の筋肉っていつ使うのさ・・・

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なんでかわからないけどこれを見たらそろそろ戻ろうって気になりました、不思議ー。

まぁ、散策したら時間も結構食ったし、そろそろ戻りますか。

 

帰り際に見つけたオシャレな建物。こういうセンスは正直うらやましい。

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窓から中を見たら食事中の人がいたのでどうやらレストランっぽい。日本でやったらすぐに名所扱いになりそうだ。

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その先の雑貨屋に駐車されてたバイク。さすがにホンダからこういうカラーは発売されなそうだが・・・いや、あるのかな、ないのかな。そんな絶妙なラインが東南アジアにはあるかもしれないとも言い切れない。日本にあったら絶対に浮くんだけどここだと溶け込むんだよなー。あ、さっきのオシャレレストランも同じか。

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なんだかんだで大分戻ってきた。

これは中心部に戻る途中で渡ったオランダ広場前の端から見える景色。いいよね、なんか。

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このあと渋滞のマラッカを走りクアラルンプール近郊まで戻りました。夜の高速道路の料金所を抜けたところで手早く撮影。思うけど国力は道路にモロに出ます、タイしかりマレーシアしかり日本しかり。東南アジアを走ってると日本の道路網が異常に発達してるなぁと実感する毎日。

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明日はコタキナバルに飛んでキナバル山へ登る手続きやらに移ります。行動あるのみ!

 

それでは!

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