月別: 2016年5月

国境でまんまと騙された話

みなさん、こんにちは。「まんまと」って言葉を作文ではじめて使う宮下です。

 

この日記を読んでくれている方は「まんまと」って言葉を使ったことがありますか?

 

いきなりですけど「まんまと」って使わないですよね。だって、「まんまと」の後に続く単語って「騙された」とか「嵌められた」とか何がかしらの被害を受けたネガティブな言葉ばっかりですからね。

被害をこうむるだけでも腹立たしいのにそれに加えて相手が”うまくやった”っていう若干賞賛気味のフレーズでもあるわけです、稀にでもこの言葉を使うのはご免こうむりたいですよね。

 

 

そんな言葉をようやく到着したカンボジアの国境で噛みしめることになるのですが・・・

ようやく旅の終わりがちょっとずつ見えてきた、やったー!!

 

ここに来て私は悟りましたね

海外長期旅行で一番大変なのは日記書くことやったんや・・・

 

あ、じゃあ、書きます。今回の日記は短いのでまぁまぁ読んでってください。

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カンボジアに入国するにはビザが必要だ。知らない人がいるかもしれないので一応書くとパスポートとビザには簡単に言うと下記の違いがある。

パスポート:身分証明書

ビザ:入国許可証

 

自国と入国したい国の間で条約が締結されていればビザが不要ということもあるが、両国の関係がそこまでいっていないとこのビザが必要になる。だから同じ国に入るのでも日本人はビザなし、ほかの国の人はビザが必要とかある。

まぁビザ必要くらいならいいんですよ。そもそも入国禁止の国もあるし、入国したい国と仲の悪い国に渡航歴があると入国できないとかありますからね(韓国と北朝鮮とか)。

 

 

ビザくらいなら安いもんじゃーい!とタイ-カンボジア国境近くのカンボジアビザセンターみたいなところに朝一で向かう。対応してくれたカンボジア人は中国人ばっかり見てたからジャパニーズは歓迎だよ、とリップサービスを使ってくる。この国境付近で取るビザ、実は安くない。滞在できる日数でビザの価格も変わるのだが、東南アジアの物価から考えると笑うに笑えない額である。

 

明らかに外国人観光客から金をせしめようという魂胆見え見えなのだが、カンボジアはポル・ポト政権とかいうヤバ過ぎる歴史があるのでそこは何も言うまい。

 

ポル・ポト政権についての大まかな流れはインターネットで流し読みしただけなので私がこれから書くものは正確ではないかもしれない。そもそも俺はポル・ポト通だから、という人も読み飛ばしてもらって構わない。説明の開始と終わりを====で示した。

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1975-1978年、この3年間で100万~300万の人間がカンボジアで粛清された。カンボジア人に、である。なんでこんなことが起こったのか、それについてネットで見聞きした正確かどうかわからない私の見解をザックリと書く。

 

 

1965 ベトナム戦争。アメリカがベトナムのゲリラ戦術に苦戦(森林地帯に蟻の巣のように複雑に張り巡らされたトンネル内に潜み地上のアメリカ兵を奇襲。穴は体格の大きいアメリカ人では入れないように小さく掘られたり、竹やりの落とし穴になっていたり。アメリカ軍は軍事力こそ圧倒していたものの、この戦術に戦闘の長期化を余儀なくされた)

 

アメリカ「ベトナム粘るな~、なんか武器いっぱい持ってるし。カンボジアさん、なんか知らん?」

カンボジア「知らないっす!武器とか食料とか全然送ってないっす!」

ベトナム「(カンボジア・・・イケメン///)」

 

当時、カンボジアは中立を明言していたが、実際はベトナムを支援していた。これはカンボジアから見たベトナムはそれなりの大国であり、隣接していることから敵対したくないという政府の判断だったらしい。

 

アメリカ「(これはどう考えてもカンボジアや、あいつらを変えなアカン)」

 

こうしてアメリカはクーデターを画策します。国王であるシアヌーク殿下がモスクワ訪問中、アメリカ寄りのロン・ルノ首相をたきつけてクーデターを実行。首都プノンペンをゲットしました。

 

アメリカ「やったでー!これでベトナムもボコボコや!」

 

しかしながら、シアヌーク殿下は国民からの支持が厚く、中国政府からの支援もあって、北京住まいしつつカンボジア奪取作戦を計画するのです。とはいっても遠方住まい、現地で実際に動く集団が必要でした。

そこで白羽の矢が立ってしまったのが共産党とそれを率いるポル・ポトです。

 

カンプチア民族統一戦線を名乗り、農民を中心に支持を伸ばしていく共産党。

そして1975年、ついに共産党がプノンペンを制圧しました。

 

普通制圧したら平和になるんですよ。戦う相手いなくなるんですから。

でも、ここでは違った。

 

ポル・ポトはこの解放戦線において農民こそ戦った誉高き者、真の国民(旧住民)。都市部のやつらは農村部から逃げてった奴、卑しい非国民(新住民)。こうして両者を二分して扱うことにしました。まぁ、解放戦線の支持母体は農村部だからそういう考えに至ったのかもしれませんが・・・都市部に住んでいた新住民の人たちはこの日から徹底的な弾圧を受けることになります。

 

ここからはポル・ポトのクレイジーラッシュです。

貨幣廃止!

学校廃止!

病院廃止!

 

ひとつめで社会が崩壊しそうですが、これに加えて有名なのが「知識人敵視政策」です。

これはもちろん本人に聞いたわけじゃないので定かではありませんが、妥当と思われる理由は「政権にケチつけてきそうな知識人になる前に抹殺してしまおう」ということらしいです。

 

字が書ける、これは粛清の対象です。

そんなの中学校でも出てれば大人と同じくらい読めるだろって思いませんか?

だから「中学校卒業してたら抹殺」

 

字は書けなくても、読むくらいだったらできる。

これも粛清の対象。本とか読まれて知識つけられると困るから。

 

メガネ、粛清の対象。

君、頭良さそうじゃない?粛清。

 

本当にこういうケチつけるくらいの理由で次々と抹殺が繰り返され続けるわけです。

この悪夢が終わったのがベトナム軍が侵略した1978年。ヤバ過ぎる内容に当時はベトナム軍がデマを流しているってことまで言われてたそうです。

 

ちなみに日本のこの時期は高度経済成長期から5年ほど。ディスコブームでOLたちはアフターといったら踊り狂ってた時期です。飛行機で5時間移動した場所では、こんなことが起きてたとは・・・

 

このポル・ポト政権の政策によりカンボジアの発展は数十年衰退したといわれています。

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国境をバイクで通過するのはこれで二回目。一回目にはずいぶん緊張したが、二回目ともなるとわりとリラックスしていた。人々がにぎわう市場を尻目にバイクを押して国境に入る。笑顔でパスポートを渡す。

 

「カスタムへ行け」

 

ピクリとも笑わない男性がぶっきらぼうに答える。ヤバい、カスタムとか悪い噂しか聞いたことがない。ここでカンボジアから旅人のサポートに来ているという男性がカスタムに同行してくれた。何がかしらの説得の試みているようだが、全くわからないので書類だけ渡して、それが紛失しないかを見ているしかなかった。おばさんの説明はタイ語だったが、「出ていくときにこの書類をここに返せ」みたいなことは伝わってきた。お礼を言ってイミグレを目指す、簡単に書いているが実際は2、30分は待たされた。その間カンボジアからサポートに来た男性と世間話をする。この男性は提出の際はなんかしゃべっていたが提出した後はただ私としゃべっているだけだった。

 

そこを通過してから出国手続き。バイクのことを話すとタイ側の出口でどうやらもう一作業あるようだ。気温は決して低くない、うだるような暑さの中バイクのところまでいくと先ほどのカンボジアから旅人のサポートに来た男性が私のことを待っていた。

 

「チップくれ」

 

・・・ああ、そうだよなぁ。怪しいと思ってたんだ。

 

「え?俺のために何してくれた?」

これは純粋に気になった。マレーシアのキナバル山でマンディに教わった、働きぶりに疑問があるならチップを払う必要はない、と。

 

「さっき楽しくおしゃべりしただろ」

 

まじかよ・・・そこは嘘でもカスタムと交渉したとか言えよ・・・

「いや、楽しくはなかった」

すぱっと言ったね。

「嘘だ。笑ってた。あれは楽しかったからだ」

まぁ、そういう意図を知らずにいれば世間話くらい笑顔でするものなんだが・・・

で、チップはいくらなの?

「1000バーツ(3000円)」

 

・・・これは吹っ掛けるやり方だ。払うこともできない額をふっかけて次に自身の本当に希望する額を言う。すると安くなったような気がして払ってしまう、というやつだ。

「そうかー、1000バーツかー。そんなもらえたら俺もここで働こうかなー」

日本語でしゃべりながらバイクを押す。

「待て待て待て、チップを払え」

バイクの前に立ちふさがってハンドルを抑える。

わかった、俺の負けだ。払うよ、払う。

10バーツ(30円)を渡して「これで水でも飲め!」と部活の先輩みたいに言う。

不満顔で「もっと!」みたいなことを言っていたが「もっと金持ちの旅行者を探せ」の一点張りで通過。意思が固い人なら1円も払わないんだろうが、騒ぎになったら勝てないので私はちょっとだけ払っておきます。

 

そしてようやくタイ側を出る寸前、警備隊の隊員に呼び止められる。どうやら書類を書く必要があるらしい。そこからその書類を一緒に書いてくれる隊員が来るまで1時間、ひたすらパイプ椅子で待機させられた・・・

 

さっき渡したチップで自分の水を買うべきだった・・・己の愚かさを呪いながら国境を通過。ようやくカンボジアである。といってもタイを出ただけなのでまたカスタムとイミグレが・・・

 

イミグレは日本人が最も得意とするただ黙って順番を待つだけの作業だけだったのでなんともなしに通過。カスタムは・・・国境警備員に聞く。英語は通じないが、「行ってよし!」という素振りだった。バイクはカスタムに行かなくていいらしい。ラッキー!

 

ヘルメットをかぶり、エンジンをかけようとすると長身の男が話しかけてきた。

「お前!カスタムへは行ったか!?」

怒っている、何かまずかったのか。まくし立てて喋る。ところどころ聞き取れないが英語だ。

 

「プノンペンからの許可証を見せろ!」

これは痛いところである。カンボジアをカンボジア以外の国の車輌で走る場合、首都プノンペンで許可を得てからでないといけない。これが正式なカンボジア国内を国外車輌で走るルールだ。しかしながら、そんなこと海外ツーリングをしているメンバーからは聞いていない。おそらくその決まりも形骸化していて、隣接するタイの街から来た人間は皆スルーしている。

 

「俺の名前はリー・ソンバットだ。これからお前にはカスタムに一緒に来てもらう」

国境警備員は知らぬ存ぜぬ顔でまるでこちらに気を留めていない。この男が本当にカスタム関係の人間なのか怪しいので三回くらい聞き直したが苛立ちながらついて来いと答えるだけだった。

 

距離を空けて歩く、幸いにしてカスタムは大通りに面した大きな建物だった。かなり怪しいがカスタムの奥の小さな部屋に入っていく。そこには三人ほどの職員がいた。

 

「バイクの書類を出せ、早くしろ!」

こいつは信用できない。自分で書類を一枚ずつ職員に見せる。

職員たちは何か言いながら首を振るのみだった。

「タイのカスタムでちゃんとした手続きを行っている、カンボジアの国内を走りたい」

そう英語で言っても、彼らは困った顔をするだけでカンボジアの言葉を返してくる。

全然わかんねぇ・・・

 

その問答を見ていたリーが私の肩をたたいて屋外に出るように言ってきた。

「いいか?お前はこのままだとカンボジアを走れない。でも、俺がサポートする。俺は英語もタイ語もカンボジア語も話せるから、お前の代わりに交渉してやる」

お前のどこが信用できるんや・・・

「いや、いいわ。警察にはワイロ渡せば通れるって聞いたし。それじゃ」

男が立ちふさがる。

「ここはカンボジアでお前の知らないことばっかりだ。ほかの国とは違うんだ。」

へぇ・・・そうなんだ。

 

「で、どんな役に立つの?」

「警官は国外のバイクを見つけるととにかく止めてくる。その時は電話を掛けろ、そうすれば俺が話してやる」

「で、いくらなの?」

「4000バーツ(12000円)」

!!!!!!!!!!!??????????

 

ありえない額である。

八畳一室できたてのコテージに一人で泊まって700バーツの世界なのだ。いくらなんでも高すぎる。

「払えない。そんな金はない」

「金なら銀行にあるだろう、おろして来い。そうしないとカンボジア旅行はできない」

「払えない(略

 

この繰り返しのあと、値下げ交渉をしたら

「わかった、3000バーツだ」というところまで来た。

 

 

「値引きできるってことは正規の値段じゃないな。お前は信用できない、払わないぞ。」

強く言ってバイクのところまで肩を怒らせて戻る。

 

 

バイクのエンジンをかけるとリーはバイクの前に立ちふさがって国境警備員と話をしている。

国境警備員の表情が曇っていき、何やらこちらを注意してくる。

確証はないが「エンジンを止めろ」ということのようだ。

 

「いいか、国境警備員はお前がここからカンボジアに入るのを許さないといっている。ほかの日に来ても同じことだぞ。」

 

やられた・・・国境警備員とこの男がグルかはさておいて、現地語が話せる人間とケンカになったら勝てる可能性はない。いくら嘘八百を語られようと、言い返すことができないからだ。論理の矛盾を突きようがない。

 

観念してついてく、カスタム前の屋台(電話屋)でSIMカードを渡される。

着信履歴を残されて、困ったらここに掛けろ、と言われる。余談ですが、このカンボジアSIMが旅行中におかしくなってケータイを初期化したのでLINEを新規登録する羽目になりましたね。

結局3000バーツからは値切れず。注意事項等を聞かされる。

 

「いいか、もし警官に止められたら何も言わずに俺に電話を掛けろ」

「この契約のことをほかのやつにいうんじゃないぞ、俺と同じ服を着ている奴にもだぞ。絶対だ」

「帰る一日前に電話をかけろ、SIMカードを受け取る」

 

契約を誰にも言うなってアコギなことやっとるやんけ・・・

そもそもこの話を聞かされたのが大通りに面してはいるものの露店のかげに隠れる場所でこそこそやりとりしてました。

 

熱中症ですでに若干ふらついていたのもあって何も言い返さず、出発。

あー、3000バーツが・・・

 

そこから30メートルくらい行ったところでバイクを停めてコーラを飲む。うむ、ちょっと元気になったぞ。

あ、そういえばこのSIMいくらくらいなんだろう。素朴な疑問なので道を戻る。リーは次のターゲットを見つけたらしく何やらバックパッカーと交渉をしている。近くにオフロードバイクもきっと彼のものだろう。割って入ろうかとも思ったが、気づいたら三時に近い、余裕はないな。何時間国境付近にいたんだ・・・。結局無視して電話屋のねーちゃんにSIMの値段を聞く。

 

「250バーツ(700円)」

 

ここでアドレナリンのエンジンがかかりましたね。飲んだのがコーラじゃなくてレッドブルならもうちょっと戦えたかもしれない。

 

リーと彼の客に横付けする。

「SIMカードめちゃくちゃ安いじゃねーか。そのへたくそな英語で2000バーツかかるはずがねえだろ!」

交渉中の人間に触れさせてはまずいと思ったのか、少し離れたところに誘導してくるがこっちは関係ない。

「金がないんだ。今日ホテルに泊まれない、さっさと金返せ」

「それはお前の問題だ。俺には関係ない。俺の仕事はお前が警察に捕まった時に交渉することだ。」

 

「金返せ!」

「俺は忙しいんだ、早く行け!」

 

ここの近くには警察も国境警備員もいない。こういうのは金を払った時点ですでに返ってこない。だからそもそも払ってはいけないのだ。わかっていても怒りとはまた別問題である。

 

「てめー!上司にお前のやっていることを報告するぞ!」

 

これはSIMカードをもらったときの禁則事項である。

途端にリーが弱くなる。

「俺には家族がいるんだ。仕事を首になっちまう、やめてくれ」

 

ここではじめてこいつのPleaseって単語を聞いた。なんかちょっと勝てる気がしてきた。

「それは俺の問題じゃない。あんたの言う通りちゃんとした料金なら領収書が出るはずだ、今すぐ出すんだ」

 

こういうやりとりをしていると寄ってこなくとも周囲の目が集まってくる。

ここで粋がっていた私も気づきましたね。

「こいつの仲間が複数いたらヤバい」という事実。

 

リーは「早く行けよ!俺は忙しいんだ!」しかすでに言わない。

・・・潜在的なリスクに気づいたら急に意気消沈してしまう。まぁ、元から気が強いほうじゃないしな。

 

せめてこのトラップを目の前にいる中国人ライダーに伝えたい。

彼の目を見て、あったことを伝える。

リーが慌ててそれを遮る。

 

そのとき、中国人ライダーは

 

唖然としてましたね。

 

まぁ、そりゃそうだよね。「え?この状況何?」って感じ?

そんで英語も伝わってなかったみたいなので・・・

 

「英語くらいわかれよ!」って怒りで叫びましたからね。日本語で(笑)

もうこのときは怒りと不安で綯交ぜでした。

 

 

 

結局、お金は戻ってこず、「仲間がいるかも」という恐怖にかられながらバイクに乗る。

そのとき、リーは勝ちを確信したようで「これ以上ここにいるなら警察を呼ぶぞ!」と息巻いてました。

 

「そん時はお前に電話してやるよ!交渉するのがお前の仕事だろ!」って返せたらよかったんですが、そんなかっこよくはいかず、無言でその場を後にしました。

 

今は国内でぬくぬくと生活している中で書いてるのもあって、冷静にいろんな可能性や対応を考えられますが、実際に起こった時の瞬発力ってのは長所も短所もすごく顕著に出るなぁと思います。お金とか言葉とかより海外で旅するならそういうところを鍛えるほうがひょっとしたら有用かもしれないなぁ。

 

結局この国境を越えるだけの作業で莫大な時間とお金を失ってしまったのです。まぁ、完全に自分の至らなさですが。

 

あ、写真全くないのでこの辺にテキトーに貼ります。

 

カンボジアの道。土が均されているだけ。車が通るたびに土煙に巻かれる。

IMGP8326

これもカンボジアの道。タイでも赤土の道はありましたが、地図で乗ってるわりと大きな道路もずっとこういう感じ。国力は道に出るとしみじみ感じました。

IMGP8413

東南アジア最大の湖、トレンサップ湖に映る夕日。漁船も観光船もみんな同じ港から出港する。

IMGP8381

ここまでしたのはすべて世界遺産のシェムリアップに行ってみたかったからです。

そんな世界遺産に次の日記で到着します。

ぜひ見てください。

 

それでは!

 

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たくさんの好意でバイク復活!バンコクを経由してカンボジアを目指す

みなさん、こんにちは。久しぶりにマンガ喫茶に泊まった宮下です。

 

タイでお世話になった高橋さんが日本からまたタイへ戻るということで、羽田空港で送迎会をした帰りです。いやー、楽しかった!

 

読者のみなさんには日記を読んでもらって非常に嬉しいんですが、

その中で顔を合わせて会う人にはもっぱら日記の評判が

「長すぎて読むのが嫌になる」

というわかっていたもののショッキングな感想をもらいます。

いや、言い方はそんな辛辣じゃなくて「書くほうだって大変でしょ」って気を遣ってくれるんですが・・・

 

自分の所感を残すという意味で始めたブログですが、読んでもらえるととても嬉しいので完全に旅のモチベーションになります。だから読んでもらう人にも楽しんでもらえたらと思うんですが、たしかに読み返すと結構時間食ってたりするんですよね・・・

 

ちょっとやり方を考えるのでもうしばらく今のやり方に付き合ってもらえたらうれしいです。

よろしくお願いします^^

 

日記の続き———————

事故の翌日、預けたバイクを取りに行かなくてはならない。

昨日はSuaidがバイク屋からホテルまで町を右往左往して連れてきてくれた。

 

本当はタクシーを捕まえればすぐに戻れるんだけど手持ちのお金が本当に心もとない。

旅の資金がピンチというわけではなく、マレーシアでは私の持っていた国際キャッシュカードが空港に設置された一部ATMでしか使用できなかった経験から、むやみやたらに手持ちの現金を使うのは避ける必要があった。

 

というわけで、まったく見知らぬ町をカンで歩いて移動。

昨日、私の事情を察してくれ、良くしてくれた薬局にお礼を言いに行ったが、お客さんでごった返していたため断念(これは並んででもお礼を言っておけばよかった、言わなかったことが後悔になってしまった)。

 

しばらく歩くとSquaidが乗せて走ってくれた大通りに運よく出ることができた、この通りに沿って歩けばバイク屋まで辿りつけるだろう。

 

 

とはいえ、歩くたびに昨日負ったケガがズキズキと痛む。

 

傷口からは体液が絶えず滲んできて服に染み込む。その中には血小板ももちろん含まれているので服と一緒に皮膚にくっつき、歩くたびにくっついた服が小さくびりびりと剥がれて新鮮な痛みを追加してくる。

 

傷が痛むたびに「いやいや、金のほうが実際問題ヤバいだろ」とも考える。それもまた次の痛みで霧散して、その痛みを忘れるように増やすことができない財布の中身をまた心配する。

 

たぶんこの時は相当ひどい顔をしていたと思う。

 

この旅で強く感じることだが旅で本当に大切なのは語学力ではなくて「笑顔」だと切に思う。

相手から見てひとりで旅する旅行者は圧倒的に不審者ではないだろうか。サービスだって金を支払うやり取りがあるから成立するだけで、何か温情に預かりたいなら無愛想はもちろん、あやしいのはご法度だ。

 

道を聞いた通行人の何人かに冷たい対応をされるまでそれを完全に忘れていた。

そう、明らかにヤバい奴だ。乾燥させるため負った傷をほぼ露出させ、体温とほぼ同じ気温の中を物心ついた子供ほどの大きさの荷物を二つも持って、汗ダラダラで陰湿な顔をしながら歩いている。私が相手の立場だったら正直絶対に関わりたくない。

 

ピンチの時にはピンチな風にしてはいけない。まぁ、旅じゃなくて色々なところで感じるんだけどね。唇を両手の人差し指で広げて口角を物理的に上げる、次のお店は笑顔で道を聞こう。

 

そうして尋ねた小さな商店で、店番をしていた母親と娘は笑顔で対応してくれた。

顔の筋肉数個でこんなにも対応が違う。

一緒に話し込んでいたお客さんも巻き込んで話は弾み、バイク屋のおそらく正確な位置が判明した。

 

「ここから歩いて1時間かからないくらいだよ!」

 

ガーーーーン!

 

昨日は必死になっていたため、バイク屋からホテル探しはあっという間に時間が過ぎていたが、思ったよりも移動していたらしい。押していうがタクシーに乗る金はない。

 

いや、歩くしかねえか。冷静に考えれば表面がちょっとやられただけで歩くのに問題ないしな・・・

店の人たちはバスも勧めてくれたが、体温ほどもある気温の中、日向でいつ来るかわからないバスを待つのもきつい。それだったら歩いたほうが気が楽だ。

 

そんな話をしているときに、新しい人物が会話に入ってきた。

Kohrという男性である。

 

事情を話すと、そのバイク屋は知り合いらしく、車で送って行ってくれるということになった。

え?神様とかですか?IMGP7747

 

中華系マレーシア人でオンラインショップを経営しているそう、奥さんとお子さん、そして自身のお母さんのの四人で暮らしているという。感謝の言葉もそこそこに世間話に花を咲かせているとバイク屋についた。感謝です!

 

結論からいうとバイクは一応直った。二面を合わせてエンジンをカバーしているケースの片方にひびが入り(もちろん金属製)、そこにコーキング剤をつっこんでエンジンオイルの出血を止めてくれたらしい。完全には直っていないと注意は受けたが、それでも乗れるようになったのは本当に嬉しい。多くの人の助力で活路が開けた、といえば一言だけど助けてくれたひとりひとりのことは絶対に忘れない。ちなみに修理代金はびっくりするほど安く、タイに戻るまでもう一、二泊しても余裕ができるくらいのお金が手元に残った。

 

そのあとはKohrに連れられて飯屋に行った。彼は「宗教はなんだ?」と聞いてきて少しびっくりしたが、仏教だと答えると「自分もそうだ」と言っていた。イスラム教徒だと食べれないレストランもあるので気を遣ってくれたのだろう。ちなみに彼いわく本当の仏教とはベジタリアンなんだ、といって野菜オンリーのお店だった。ここでも彼の好意で私の財布は一切痩せることがなかった。

 

レストランで食事をすると「タイに戻る高速道路へのインターへ案内するよ、その前に家に忘れ物があるから取りに行こう。母親もいるし中国の新節(旧正月)だからお年玉をくれるかもしれない」

 

ヤバい、なんだこの優しさは。めちゃくちゃ優しい。そしてそれにホイホイついていく自分にも危機感を改めて感じた。

 

彼の自宅に着くとお母さんが笑顔で迎えてくれたものの、その顔を見るまでにかなり頑丈なゲートを二回開けた。そうだ、ここは海外だ。親切なのはありがたいが、気を緩めすぎないようにしなければ。この心配はここにおいては全くの杞憂で、めちゃくちゃおいしい緑茶や謎のお菓子をたくさん頂いた。しかも本当にお年玉をもらった、なんということか。

 

彼が自宅に忘れていたのはパスポートですでに三冊目だという、オンラインショップの経営はすべてパソコンで処理ができるのでちょくちょくインドネシアのゲストハウスで作業するらしい。オフィスを自由にできる気楽さやこれからの展望ありきで、旅を終えたらパソコンの勉強をするように言われた。

 

一通りくつろいでから、彼の自宅を後にする。お母さんは視界から消えるまで手を振ってくれていた、息子の友人として迎えてくれたんだろうな、きっと。国を超えても母親らしさみたいなのは変わらないんじゃないかと感じた。そして高速のインター手前で彼の車の横につけ、感謝と別れの挨拶をする。

 

Take care(気を付けてね)というと、それはお前だよ!と返された。You are rightとしか返しようがない。

 

そこからは慎重に慎重を重ねてタイを目指す。三十分進むごとにエンジンを切り、オイル漏れがないか確認した。エンジンが発熱して膨張すれば、亀裂が拡大して再びオイルが漏れるかもしれない。そういった懸念もあって速度も出さなかったので時間はかかったものの、無事にマレーシア-タイの国境を通過。タイ南部の都市ハージャイの街まで無事に戻ることができた。

 

さて、タイに戻ってきた。東南アジア巡りは当初の予定だとシンガポールを除き、カンボジアとラオスに行くつもりだった。しかしながら、事故によるトラブル、思いのほか楽しくてめちゃくちゃ後ろにズレたタイツーリング。この後、何をするにもすでに走った道については時間も距離も短く済ませたいところではある。

 

そこで電車移動ですよ!!

 

これは偉大なる先人、ぽこけんさん夫妻こと荒木さんご夫妻が実績を持つ「バイクごと電車でバンコクまで戻る」という超便利手段を利用させていただくほかない。バンコクからハージャイまで自走で2週間近くかけてしまったが、これを使えばわずか1日で済んでしまうという・・・

 

ここは電車が出ているハージャイの駅。国王陛下夫妻の写真が大きく掲げられているのを見るとタイに戻ってきたんだと実感する。

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実はタイに戻ってからこの駅に来るまでに二日ほど高熱にうなされ、マラリアかどうか大きな病院に検査に行った。東南アジアでは簡易検査キットが薬局で売っているという情報をネットで見たのだが、薬剤師さん曰く、タイでは全国的に病院での血液検査しかしていないという。結果はFar from marariaと言われたが、今考えると事故で負ったケガによる外傷性の発熱だったかもしれない。主だった感染症のワクチンは打っていたものの、今思えば博打に近い判断だった。これは反省しなければならない。連泊した宿のお姉さんにマラリアの検査キットを買いたいから薬局を教えてくれと言ったら英語が一切通じず、事故のケガのことだと思ったのか包帯とかを買ってきてくれた。本当にありがとう、お金も全然受け取ってくれなかった。

 

おっと、電車の話でした。心はすでに電車を利用することに決めていた。寝てる間に進むってのはデカいよね、信号もないし。さっそくハージャイの駅に行ってバイクを持ち込み、チケットを購入。案外人気らしくて一番安い座席しか売ってもらえなかった。昼過ぎに出るので駅の構内で時間を過ごす。

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駅構内。タイの南側の都市なのでイスラム教徒の人がいっぱい。(タイの南に位置するマレーシアの国教はイスラム教)

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以前、荒木夫妻が利用した時に、自分たちとバイクは違う電車だったという。バンコクについてから三時間ほど待たされ、次の電車でバイクが到着したらしいことをブログを拝見して知っていた。後発の貨物でしかバイクを運ばないなら仕方ないが、すでに一か月以上を東南アジアで過ごしてきた私は確信していましたね。

 

「貨物のみ、乗客のみなんて面倒なことは絶対しない。テキトーに荷物乗せたせいで次ので届いただけだろう」と。

 

バイクを所定の位置に停めると、近くで作業員を待つ。ラベルを貼りに来た青年を捕まえてチケットを見せ「これと同じ電車にこのバイクを頼む!」とプッシュ、もちろん笑顔で。青年も笑顔で「オーケー!オーケー!」と答えてくれる。よしよし、頼んだぞ!

 

そうして重要なミッションを終え、ゆうゆうと電車に乗り込む。指定席制だが、そこらじゅうが空いているので相席になった人はすぐにほかのところへ行ってしまった。ここからほぼ一日、電車に揺られてバンコクを目指す。

 

駅を出る直前。照り返す隣の電車の鮮やかな壁面に自身が乗る電車が映る。

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もちろんエアコンはない。ジョイスティックのように扇風機がぐるぐるとまわっている。

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窓際から見た工事現場。ここだけ見せられて「日本だよ」と言われれば、とても怪しく感じると思う。違いはなんなんだろう。

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夕日に向かって走る電車。真っ暗になってしまえばやることもなく眠るだけである。運んでもらう間は色々な思いを馳せることができる、長旅にはこういう時間が必要かもしれない。

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日も落ちると外を見る楽しみは一切ない。町の明かりなんて本当にまばらだし、森林地帯を抜けているのか本当に真っ暗である。たまに止まる駅では売り子が窓の外から食べ物を勧めてくるが、鳥肉とコーラくらいしか買いたいものはなかった。

 

そそくさと眠りにつこうとする。この日は駅まで行って電車に乗り込んだだけなのだが、それでも疲れた。思う以上に多くの情報を扱っているんだろう。幸い、謎の発熱は収まったのであとは夢の世界に旅立つだけなのだが・・・

 

寒い。めちゃくちゃ寒い。

 

いくらタイが南国だって夜は少しばかり気温が下がる。それに私はこっちの気温に慣れてしまった、日本は2月という厳冬期でも体温に近い気温の毎日だったマレーシアから戻ってきた私には眠気が吹っ飛ぶほど十分寒かった。

 

窓を閉めも、隙間からぴゅーぴゅーと風が入ってくる。それにほかの乗客が窓を閉めない。なんで!?と思うが、みんな開けたまま、ブランケットをかぶって丸くなっている。なぜ頑なに閉めないのか・・・

 

そして次の日。

 

結局全然眠れなかった。新しい風邪をひくかと思ったが、この夜のダメージを差し引いても若干体力が残ったらしい。日が昇って明るくなると汚い建物が目立つようになってきた。都市部が近くなっているのを実感する。

IMGP7861

ここから徐々に暖かくなって仮眠。少しでも寝れてよかった。

 

そんで、つきました。バンコク駅。19世紀のイギリスで見そうな感じの建物でした、なんとなくだけど。

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電車から降りて積み荷を待つ。次々に下される荷物の中にバイクがあった。やったぜ!

ただ問題があった。

下されたバイクは私のじゃない。なんでなんだぜ!

 

え?マジでなんなの?

 

聞いて回ったら次の電車で来るらしい。つまり三時間後・・・

 

あんなに言ったのに!

とかイライラしてはいけない。イライラしたら負けだ、良くも悪くもここは東南アジアだ。

 

ここまで来ると地べたに座るとかには全く抵抗ないよね、空気を吸うのと同じくらい自然に座り込みます。さすがに横になったりはしませんが、胡坐をかいて体育館みたいな天井をぼーっと眺めて時間を過ごす。たまに来る電車に一縷の望みをかけて調べるも、ハージャイ発でないとやっぱり可能性はないとのこと。そりゃそうか・・・ハージャイと同じ線路でつながってんだもんな、ほかの電車にのせかえる理由がない・・・荷受けのおじさんに何回も聞いたら後半は答えずに首を横に振るだけになってしまった。

 

きれいな電車ももちろん多いが、そうでない電車も止まる。日本でいうと東京駅だからね、いろんなところから来るんだろうが・・・昔庭で失くしたブリキのおもちゃを半年ぶりに見つけたような色合いである(←失礼)。

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きっちり三時間待った。待ちに待ってようやくバイクが来た。

荷受けのおじさんはこの三時間の間に何回も私にプッシュされているので到着を一緒に喜んでくれた。

 

「よかったな!ちゃんと来たぞ!」

 

謝罪はない。たぶん純粋に申し訳ないと思っていない。もちろんそこに悪意はない。

万事が万事、こういった感じで進められているのだ。そういう空気感がこちらの常識なんだと感じる。

その一種のゆるさが東南アジアの良さでもあり悪さでもある。それよりも注目すべきはこの言葉である。

 

「ちゃんと来たぞ」

 

え?来ない可能性あったの?

私は恐怖しましたね、この言葉に。

まぁ、私もずいぶん疑っているようなそぶりだったのかも、それに対して「どうだ?言った通り来ただろう」といったところかもしれないんですけどね。

 

結局バイクに乗って走り出したのは三時すぎだったと思う。ここまではひたすら北上してきたが、ここからは東に進路をとってカンボジアを目指すことにした。シェムリアップのアンコールワット見たさである。

 

走り出してしばらくしないうちに昨日電車から見た色に空が変わっていく。

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バスケットのゴールに入るがごとくちょうどいい木と夕日が重なる場所で休憩。旅はいつも忙しいが、とにかくキナバル山から色々なことがありすぎ。どこかで休みを設けないとなぁ。

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この日は道すがらテキトーな宿に泊まった。

 

あくる日、またもやカンボジアを目指す。

すでにもう都市部からは遠く、農地なのか手つかずなのか判断しかねる様相の景色が続く。

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こういうトラックがたくさん走っている。こいつの後ろは植物の破片がぱらぱらと舞ってとにかく走りにくい。すぐに抜いてしまいたいがデカすぎて前が見えないので抜くのはそれなりに度胸がいる。

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抜くときは決まって対向車線側、真ん中寄りだ。左側通行なら追い越しは当然右からなのだが、日本のようにキッカリ中央線が書いてあるわけではないし、車が左右均等の間隔を空けて走っているわけではない。左側が空いている、という安易な理由で左から追い越しをするのは、この画像のような場所がそこかしこに点在することを論拠としておススメしない。

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そして見えてきたボーダー。最初のタイ-マレーシアのボーダーまで行くのは大分時間がかかったが、カンボジアまではわりとあっさりである。とはいえ、夕方も近い時間だったので今日はここまでにして明日の突破を目指す。久しぶりに食ったマックの体に悪い味が最高にうまかった。

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次回はカンボジア入国とシェムリアップ到着くらいまで書けそうかな?

読んでくれてありがとう^^

 

それでは!

 

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タイへの帰り道とクラッシュ

みなさん、こんにちは。ちゃんと生きてます、宮下です。

 

一説には死亡説まで流れていた「道ヲ旅スル」でしたが、ギリギリちゃんと生きてましたね。

更新しない中でもサイトを除いてくださった方たちには本当に感謝です。私が年始に授かった大吉をお譲りしたい気分です。

 

何やってたのかというとさりげなく桜を追いかけて奈良まで行ったり、新緑を追って福島まで走ったりしてました。

 

そんで最近気づいたのが「そろそろ動き出さないと次の旅に間に合わない」ってこと・・・

次の旅ってのはヨーロッパ方面をバイクで走るってことなんですけど、その準備が本当にいろいろあって・・・・

余裕ぶっこいてたら危うくなってきましたが。それで今てんやわんや、と・・・

 

次の出発についてもいろいろ書きたいんだけどまずはアジア編を終わらせないと・・・

マレーシアのキナバル山から降りてきたところでしたね・・・・この後割と経たずに事故ったんですよ(爆)

とりあえず続きを書いていきます。

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感動のキナバル山に登頂したものの、下山後すぐにホテルでオーナーと揉め、そのままキナバルの街まで運よく帰ってくることができた次の日。

 

一晩早い便で街まで戻ったことで、本当に帰るフライトまで余裕ができたのでビーチが美しいという島の東部を目指すことにする。ゲストハウスで出会った日本人の女性が前日行ってきたというので間違いはないだろう。

さっそく近くの駅に向かうと、ミニバスの運転手にもみくちゃにされる。ミニバスは人数がそろったら出発!という方法なのでそれっぽい観光客がいると、獲物に群がるハイエナのように群がってくる。正直、こっちは誰でもいいので地名だけしゃべっていると運転手の一人に手を引かれバスまで連れていかれる。こういうちょっと強引なやつのほうが結果的に出発が早いので文句も言わず料金を支払ってミニバスに乗り込む。あとで女性ばかり4人が乗り込んでくるらしいことを運転手はニヤニヤしながら言った。

 

時々女性が車のそばを通りすぎる。マレーシアの女性は宗教的な理由で「トゥドゥン」(tudung)というスカーフのようなものを巻いているのだが、あれは暑くないんだろうか。窓が全開とはいえ体温近い気温の車中で私はすでにグロッキーな状態なので、他人のことを心配して気を紛らわす。そこから20分は経っただろうか、運転手は別のミニバスを指さして「あれに乗れ」みたいなことを言っている。どうやら女性陣の話は嘘だったらしい。

 

新しいミニバスはすでに満員で私が乗るとすぐに出発した。こちらはエアコンが効いていて割と快適である。ミニバスで隣になったFaizという青年と友達になった。これから向かう島の東部からさらにフェリーに乗って向かう離島の教師をしているらしい。同世代で気さくに話をしてくれる。マレーシアは年中暑いのだが勤務地は水が出たり出なかったりするところで今の仕事にやりがいは感じるが、正直やめたいとも話していた。ちなみに名前はムハンマドでみんなほぼ同じ名前らしい。びびるくらいの好青年だった。

 

彼と話しながらも車は周りが林しか見えないマレーシアの田舎道をひたすら走る。途中、東南アジアらしい商店が連なる一角で休憩を取ったりもした。商品が吊られて売られていたが暑さを避けるためなのかネズミによる被害を防ぐためなのかはわからなかった。

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そんなこんなで二時間半ほどかかってバス停に到着。Faizは気を効かせてホテルを何件か紹介してくれたあと、勤務地に向かうフェリーへ足早に向かっていった。急いでいたのにありがとう。

 

英語が全く通じないホテルになんとかチェックインし、さっそく件のビーチを探す。ちょっとワルそうなお兄ちゃん(英語が通じる)にビーチを聞くとめんどくさそうに名前と場所を教えてくれた。ここでセカンドオピニオンを取るべきだったのだが、ここに来るまでずいぶんいい人ばかりと接していたため、それを鵜呑みに行動してしまった。1時間ほど歩いたあと、教えてもらったのがビーチの名前ではなくリゾートホテルの名前だということが判明、気温は35度である。

 

あああああああ!!もうビーチなんてどうでもいい!!

という気持ちで海辺の店でコーラを飲む。なんか店に置いてあるテーブルや椅子の配色が昭和っぽい。

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おっさんと子供たちという不思議な組み合わせの連中がキャイキャイ言いながら遊んでいるのを細い目で見る。この気温でよくあんな元気に活動できるな・・・おっさんが近くに座り、挨拶をして話をしてみると20歳ということが判明、すまぬ。ビーチが見つからないと愚痴っているとそのビーチまでは車で40分もかかることがわかった。

 

そういえば宿で話してくれた女性は現地のガイドが休日を使って自家用車で案内してくれた、と言っていた。僕は正直美人ってズルいと思いましたね。

 

せっかく二時間もかけて来たのもあるのでこの青年を雇って現地に行けないか交渉。結果、この青年は無理だが、彼のおじさんがホテルの非番でそれなりのお礼を用意するなら連れて行ってくれるということになった。値段を聞けばタクシーよりははるかに安い、お世話になることにした。

 

彼の名前はゴージュ(ゴーデュ?)さん。彼はクアラルンプール市内の大学に通う息子を持つ、ホテルのマネージャーらしい。仕事もあってか、訛りが強いものの英語は通じるらしい。こっちがしゃべる英語もだいぶ適当なので意思の疎通がある程度でも取れるのはうれしい。

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早速、彼の車で出発しようとしたが、ガソリンスタンドに駐車したらエンジンがかからなくなった。乗り込んだ時から嫌な感じはしたが、そうとう年代物の車らしい。車内にキュルルルルル!という音が空しく響く。

しばらくすると「やっちゃったぜ!」みたいな顔でこちらを見る。

 

「タカ!後ろから車を押すんだ!」

 

こういうことをいい笑顔で言ってくる。そう、ここは日本じゃない。謝罪とかそういうのは全くない。

困ったらお互いさまなのだ。それにずいぶん助けられてここまで来た。

 

10mほど押すとキュルルルルルがドゥルン!に変わり、車が自走しはじめた(※軽自動車です)。

一瞬置いて行かれるかと思ったがそんなオチはなく、しっかりとシートベルトを締めるのを確認してから発進してくれた。

 

ビーチまでの道は舗装の状態が悪いだけでなく無数の野犬が闊歩していた。タイも含めて今まで走ってきたどの道よりも野犬が多く、歩きや自転車で通過するのは危険でとても無理だとゴージュは言っていた。ここで車が停まったら私が外に出て押さなければならなかったので心の中でひたすら軽自動車を応援した。

 

ビーチに着くころには、太陽が黄色がかっていてもう少しで夕方になろうかというところだった。ゴージュが案内してくれたのは入り江が見える展望台で、宿であった女性客から聞いた場所と違ったが、周りに多数の人がいたことからもここが有名なスポットであることは明白だった。

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ビーチ自体は人がいないわけではないものの散歩している数人が見受けられるだけだった。波は穏やかだったが時間も時間だったので閑散としていたのかもしれない。砂浜には珍しい岩山があって、夕日をまぶしく反射していた。近くで見たら、けっこうな迫力かもしれない。

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展望台を少し降りて海に近づく。聞いていた白いビーチにはたどり着かなかったもののここでしか見れない景色もあるんだろう、と思い景色を眺める。空のグラデーションって不思議だよなぁ。

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似たような場所でもレンズを変えると画が全然違う。今日もまた一日が終わってしまうな。

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最後、林の中から沈む夕日。この旅であと何回夕日を見れるのだろうか。センチメンタルな気分だけじゃなくエコノミックな観点からもちょっとずつ気になり始めた。

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帰りは幸いにして軽自動車のエンジンがキーを数回回すだけでかかったので、笑顔ホクホクでドライブ。ホテルの前につけてもらいゴージュにお礼を言う。

 

「タカ、良い旅を」

ゴージュのかっこいい決め台詞のあとにちゃんとエンジンがかかって結構安心した。このセリフのあとに軽自動車を押したくなかったためだ。

 

翌日は五日間いたボルネオ島(コタキナバル島)を離れ、バイクの置いてあるクアラルンプールに戻った。ビックリするほどスムーズで特筆すべきこともないので割愛。たった五日だけだったがバイク(というか自家用車)のない旅は不便さを強く感じた。っていうか、バイクが便利すぎるだけなんだが・・・いい意味でバイクから離れることができた数日間だった。

 

シンガポールへ行っている時間はないのでクアラルンプールを出て再びタイを目指す。来た道を戻るというのもつまらないので本島の東部を廻って北上することにした。

 

久しぶりのバイクにテンションが上がって無駄なものも撮ってしまう。これは途中で見つけた名前も知らない川。テレビで見たナイル川みたいな色をしていた。大陸特有の茶褐色の土が混じるとこういう色になるんだろうか・・

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高地を走っているときには遠望に巨大な岩山を見た。書店に行けば「世界の絶景」という本をゴマンと見るが、それでも語りつくせないほどの絶景が世界にはたくさんある。旅をする意義はそこかしこに転がっていいる。

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途中イスラム教徒っぽい青年に声をかけられた。バイクで走行中にである。最初は荷物が落ちかけているとかそんな理由かと思って近くに停車すると彼もバイクを路肩に寄せた。

 

普段なら身構えるが、そんなことも考えさせないくらい柔和な人物である。

 

英語じゃない言葉(たぶんマレーシア語)ですさまじく丁寧に話しかけてくる。

人生初の感覚だが、たぶん間違いない。

 

 

俺、今崇(あが)められてる。

 

たぶん勘違いとかじゃない。だって、正面から祈ってくるし。

 

聞いたことがある、旅人に神様が宿ると信じる教えがあるらしい。

たぶんソレや・・・

 

彼は荷物の中からグレープフルーツを取り出すと手渡してくる。

いやいや、もらえないって!うがった言い方をすればいらないって!

 

それでもめちゃくちゃ強引に持たせてくるので受け取ることにした。

そのあとまたこの表情である。

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呪文というかお経というか、そういったものを一通り唱えたあと彼は不思議な祈りのポーズをして去っていった。

 

この出来事だけで海外に来てよかった。私は本や見分で見知った知識ではなく、実体験として体感しましたね。

 

思想の違う人間がいる、ということを。

 

それは自分が生活する範疇で思いもよらない悪行がどうとかいうことではなく、自身が信じる善の世界で全く違う価値観があるという事実。衝撃だったよね、全く知らない人に感謝や尊敬のこもった気持ちをあれほど正面から出せる人間がいるということ。いたく感動しました。感動を通り越して衝撃を受けました。

 

あ、あとどうでもいいけど俺グレープフルーツ嫌いなんだよね。

 

そんなことを考えながらバイクを走らせるとどうも道がおかしい。渡り終えてから全景を見るとどうやら氾濫した川に橋が流されてしまったようだった。

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本来の道から見た景色。高さもそれなりにあって下をのぞき込むとスリルがあった。仮設の道路がしっかりしていて走行に心配はないが、また大雨が降ったらそれも使えなくなりそうだ。

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そういう出来事もあって、さきほどの敬虔な信者の人はお祈りをしていたのかな?とも思う。強度の高い衝撃を受けると、起こることすべてをそれに関連付けてしまうな。

 

それでも道は続いていく。再び高地に出たときには遠方に見慣れぬ色の土肌をした山がいくつも広がっていた。

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何も絶景は遠方だけではない。走っていたらひたすら視界に広がるプランテーションの道もここでしか見ることができない絶景だ。なんとなく普段見ている景色もそこを訪れることが少ない人間にとってはとても貴重な絶景かもしれない。

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時折抜ける山間部から見える景色は立体感がある。あの山も名前があって、その頂上から息をのむような景色を見た人がいるんだろうな。

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そして夕日が落ちてきたころだった。クアラルンプールを出てからの一日の出来事みたいな書き方をしているが実際は二日三日かかってここまで来ている。もうじきバタワースの街に到着できそうだ。

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バタワースに着けばこういった景色は見られない。タイに戻るまではよく舗装された近代的な快走路を行くことになる。名残惜しいような、やっとここまで来たような、そんな気分で道を進む。

 

バタワース近郊になると進んでいた道は高速道路に接続していた。マレーシアの高速道路はバイクが無料なので気兼ねなく乗る。以前、日記にも乗せたが料金所を迂回する形のバイク専用レーンが存在する。

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この迂回路は経験上、料金所の付近にしかないものと思っていたが、この日走っていた場所ではこの迂回路が延々と続く。正確に言うと、バイク専用レーンだけが車道と切り離された状態でひたすら並走していた。違和感を感じつつも、走りやすさからだいぶスピードが出ていたと思う。

 

途中車をぴたりとつけられて家族連れらしき人たちがこっちに向かって何か言っている。

 

でも、聞き取れない。マレーシア語だろうか。

「英語で言って!」

こちらも叫ぶが言葉は一向にわからない。そのうち前を指さすようなジェスチャーを見せた。

 

次の瞬間、道路の出っ張りが飛び込んできた。

慌ててブレーキをするも速度は落ち切らずに出っ張りに乗り上げてジャンプ!

 

時間が停まる感覚とかそういうのは一切なく、着地とほぼ同時に転倒しました。

 

「そうか・・・あれを知らせるために言ってくれてたのか・・・」

スピード出しすぎとかそんなところだろうか。

 

東南アジアの道路には出っ張りが存在する。目的は車の速度を落とすためで、日本の停止線と似たような仕事をしている。しかしながら、停止線と大きく違うのは速度を落とさないと実害があるということだ。ちょうど今しがた吹っ飛んだ私がいい例である。

 

完全に油断していた。気温もあって長袖も着ず、ビーチサンダルで転んでしまった。バイクに乗らない人でも自転車に乗っていればアスファルトに投げ出された後のことは大体予想がつくだろう。

 

ただ、これは完全に勘になるが、今回の店頭で骨はやられていないと確信していた。道路の上を滑っただけで幸いバイクに挟まれたわけでもなく、地面にたたきつけられたわけでもない。なんとか立ち上がってバイクを寄せようとしていると後続からのバイクが停まって心配してくれる。その中にSuaidという男性がいた。英語が話せる彼は停まった数人と話をしてどうやら私を近くの病院まで連れて行ってくれるらしい。本当にありがたいし申し訳ない。

 

「傷はどうだ?」

引きずっただけで骨に異常はないと伝えると、顔をゆがませて傷を確認してくる。

「たしかに骨は見えてないな、強烈な痛みがなければ折れてはいないだろう」

みたいなことを言っていた気がする。擦過傷でずいぶん痛いがそこまで強烈ではない。

 

体の傷を確認した後はバイクを見る。ヤバイ、エンジンからオイルが漏れている。

そこでSuaidは質問してきた。

「すまないが私も用事があってそれほど一緒にいられるわけではない。病院かバイク、どちらか付き合おう。どっちにする?」

 

身体ももちろん大事だが、バイクが動かなくなればその後の行動が大きく制限されてしまう。日も暮れはじめ、時間的に余裕もなかった。しかもこのとき手持ちの金はそれほどなく、周辺のATMで新しいお金をおろせるかは謎だった。

 

「バイク屋を紹介してくれ、バイクが治れば自分で病院に行く」

Suaidは何件かバイク屋を紹介してくれたが、どこの店主も首を横に振った。バイクがタイ製だったためだ。外国のバイクは仕様が違うので直せるかわからない、という理由で突っぱねられた。バイク屋を移動する度にエンジンから白煙が上がる、エンジンオイルが完全に切れて、シリンダーが内壁と溶着すればエンジンを換装しなくてはならない大事である。それでもSuaidは粘り強くバイク屋を廻ってくれ、ついに「やってみよう」というバイク屋が見つかった。予算がこころもとないことを伝えると、それでもいいと言ってくれた。私の知る限り、持っているカードでお金をおろせるのは400km離れたクアラルンプール空港だけなので藁にも縋る思いだった。翌日に取りに来るように言われ、バイクを預けた。

 

「バイクは預けた、これからどうするんだ?」

タクシーを捕まえてホテルを探すと伝えると、Suaidはバイク屋となにか話していた。

「ホテルまでタクシーは結構な金がかかる。目的地の途中にあるホテルなら乗せていこう」

 

もうね、やさしさに涙が出そうになりました。世話になってる自分の情けなさにも。

 

それっぽい看板を見つけては宿が空いているか聞く。チャイニーズニューイヤーでいろんなホテルが満室の中、バリバリのマレーシア人の安宿を発見。

 

一言目が「お前中国人か?」

でしたが、違うとわかるとすぐに部屋を用意してくれました。いろいろあるんだろうな・・・・

 

Suaidに何度もお礼を言って彼と別れる。ちなみに彼は日本に帰ってからもメッセージをくれました。

普通に恩人です。

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シャワーを浴びて傷口を洗おうとしたらシャワー室にゴキブリが五匹もいたのでミネラルウォーターを買ってくることに。病院は値段が気になったので近くの薬局でオキシドールを入手することにしました。

 

たまたまホテルを見つけた場所がチャイナタウンの近くで薬局はすぐに見つかりました。薬剤師は大学でしっかりとした英語教育を受けていると聞いていたので相談に乗ってもらえると期待して来店。転んだこと、骨にはたぶん異常がないこと、お金が全然ないのでオキシドールをできれば量り売りしてほしいことを伝えると店主は笑顔で消毒やしたり包帯を巻いてくれました。

 

「いやいや、お金ないんだって!」

というと

「チャイニーズニューイヤーだからこれはお祝いだよ」

といって丁寧に施術してくれました。

 

助けられてばっかだな・・・

 

どこかを訪れるたびに「〇〇人」って言葉で人を括るけど、本当はそんなの関係ないんだよな。

立派な人が立派ってだけで。考えるのを終わらせる意味で〇〇人は~って結論つけたがるけど、それって全然本質じゃないよね。

 

ホテルに帰ってベッドを調べる。南京虫とかはいないみたいだ。

wifiもつながらないし、今日は早く寝てしまおう。

 

自身の油断とか見知らぬ街での人のやさしさとかそれに対する感謝を忘れないために写真を撮ってその日は床に就いた。

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いつかこの恩も誰かに返せる人間にならなければ。

 

 

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