みなさん、こんにちは。先日臀部(でんぶ)の感覚が一切なく、ケツって何だっけ?という哲学的問いに自問した宮下です。
なんでそんなことになったのか・・・カメラ大好き人間の私がその日一枚も写真を撮らずに過ごした日のことをここに記そうと思います。

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その日も快晴でした。秋田県大館市の宿を後にし、前日に走った十和田湖周辺に懲りずに来た私は休憩がてら開いたブラウザの中で
見てはいけないワードを見てしまいます。

「奥日光の紅葉が今見頃」

来ちゃったああああああ!青森の前に奥日光来ちゃったああああああ!
前日に彼女から電話で奥日光が紅葉してるらしいとは聞いてて、その時は「ふーん」って感じだったんです。が!字面で見ると急に惜しくなる。

すでに秋田から100km近く走った後でした。どうせダラダラしてやろうと息巻いていたので午前の遅くに出発してブラウザでワナワナしはじめたのが午後二時くらい。

突然ですが、みなさんは個人の価値についてどういう考えを持っているでしょうか。
私は個人の価値で最も大切な要因は「その時そこにいること」だと考えています。

たとえば金属加工の製造業で、特殊金属の鏡面仕上げを超高精度で行える人は本当にその人しかその仕事ができませんが、そのタスクを実行するのに、ある能力が世界で一番でないと遂行できないことってのは本当にごく僅かです。言い換えれば大抵のことは世の中の多くの人で代替が効きます。
別に仕事の世界だけじゃないです。人間関係、恋愛関係でも同じことが言えます。特定の異性と付き合うにあたって、その限りだと判断する何かは本当にその人しかいないのか。

よく、「あなたの代わりはいない」なんて言いますが果たして本当でしょうか?

私はこの質問に「本当にそうだ」と言い切る自信があります。
だってそうでしょ?

いくら自分より能力が高い人間が何万人世界にいようが、問題が起きたその場で、実際にその場に居合わせて、それに取り組めるのはほかでもないその人です。
その時はその瞬間しかありません。

異性との関係もそうです。自分よりかっこよくて、やさしくて、さわやかで、そんなやつが何万人いようが、その異性に寄り添った時間や向き合った時間はそこにいたその人間にしかないものです。

だから「その時そこにいること」こそ個人の価値で最も大切な要素だと私は考えています。

さて、話は戻ります。現在地は青森県十和田湖周辺、紅葉の場所は栃木県奥日光。
私よりカメラが上手な人間なんてそれこそ何百万人もいるでしょう。

じゃあ、私の旅、紅葉を追うこの旅の価値はどこにあるのか。
脳内で会議が始まります。

「キサマ、正気かッ!すでに100km走って、さらにここから580kmもあるんだぞ!」
「ええい!何のためのバイクだ!機動力を見せんかい!」
「250ccシングル(単気筒)の振動をなめるなよ!4つに割れるどころかケツが吹き飛んでしまうぞ!」
「紅葉はこの時しかないんだぞ!信条を忘れたのか、この腑抜け!」

議長!結論を!この会議の結論を!

議長「ウフフ、オッケー☆(狂)」

そうだ・・・たとえこのケツが無に来そうとも・・・俺は行かなくちゃいけないんだ・・・!

ということで、青森から栃木に移動してきました。
今乗ってるバイクはXR250BAJAという250cc単気筒のオフロードバイクです。
このオフロードってのがミソで、前タイヤのドロよけがすごく高い位置についてます。

これは悪路で前のサスペンションが沈み込んだときに干渉しないためですが、高速で走ると風を巻き込んでめっちゃバタバタ→不安定な走行軌道になるわけです。
そもそもエンジンも高速走行に向いてないので80km-90kmくらいしか出せません。エンジンぶっ壊す気で回せば140kmくらいは出るって話ですが・・・。
なので85kmくらいで巡航します。これでもきっとエンジンに負担がかかってるんですが。

この状態で高速道路とかスーパー暇ですよ。
バイク運転したことない人はバイク眠くならないでしょ?って思うかもしれませんがそんなことありません。

マジで眠くなります。完全に寝ないまでもマイクロスリープくらいは確実にしてますね。

だから寝ないためにこの日もガムを口に突っ込んで七時間くらいクチャクチャしたんじゃないですか。
顎が筋肉痛になりました。

大体80kmなんて軽トラに抜かれます、バイクなのにね。
周りはコイツおっせーな、なんて思ってるかもしれませんが
これでも「あああぁああぁあぁあぁああぁあああ!」ってなってます。

もってくれよ、エンジンちゃん。ケツはたぶん・・・助からんだろ。

ひたすら自我を捨てて直進します。

それでも最初はケツいてーな、くらいなんですよ。

そのあと座り方をかえる頻度が徐々に多くなっていき、
どれくらい走ったでしょうか。400kmを超えた辺かな?

もうね、ケツの感覚がないの。完全に感覚を失うと「ケツの感覚がない」じゃなくて「ケツがないって感覚」になるからね。あ、これは名言かもしれない。

無の境地。

感覚なさすぎて自分の手で触るんですが「冷えたゴムまり」みたいな感覚が返ってくるだけで本当にこれはケツなのか?
そもそもケツとは何でどこからどこまでがケツなのか?という完全にどうでもいい問いとかが生まれてくるわけです。

ここまで来るとバイクに座ってるというよりもケツだった何かに乗って移動してる感覚ですよね。

さらばだ・・・おケツ二等兵。キミの死はムダにはしないぞ!

結局十時くらいに友達の家に滑り込みました。
本当にすまん!そしてありがとう!!

ケツが、ケツがっていう日記ですいませんでした。
明日は奥日光を旅します、よかったら見てください。

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2 Comments 日本(JPN)

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2 Responses to “十七日目:さらばおケツ二等兵”

  1. すごいね、感覚器官をカットしてるのかな?
    匂いもそうだけど、刺激ってのは差分だから、同じ刺激受けすぎるとわかんなくなるのかね。
    なんにせよナイスファイおけつ。

  2. >>まっつん
    感覚の世界では「感覚器の疲労」ってことになってると思ったよ。
    嗅覚は「疲れやすい」ためにすぐに匂いに慣れたりする。
    痛覚にもあるんだろうね、正座のしびれた感じとかもそうなのかな?
    おケツ二等兵は二階級特進で上等兵になりました。一か月旅して7000km走ったので、日本縦断が完了するころにはたぶん大佐くらいになってるでしょう。

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